なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について

新しい社会批判思想を構築するために
竹田 青嗣 プロフィール

一つの根本的な原理が必要だ

さて、話を戻そう。

現在、哲学・思想が、その“現実対抗”の本質力を発揮するための条件はどこにあるだろうか。われわれが真に必要としているのは、「価値の多様性」によって相互対立の罠に陥るさまざまな批判思想の大群ではなく、一つの根本的な原理とその可能性についての大きな合意にほかならない。

近代市民革命はいかにして可能となったか。アンシャン・レジームに対する広範な反感、この体制がもはや未来の可能性をまったくもたないということについての、きわめて多様な諸思想はすでに存在していた。しかし、それが、「人民主権による新しい社会統治」という可能性の原理として像を結んだとき、人々の変革の欲望は一つのものとなり、大きな力を生み出したのだ。

同じことは、マルクス主義の場合でもいえる。ほとんど無数に存在していた反資本主義、反国民国家の思想が、「共産主義」の原理として明確に提示されたとき、社会革命の大きな波が世界中に広がった。

ルソーとヘーゲルの「原理」

ルソーとヘーゲルが基礎づけた「自由な市民社会」(自由の普遍的解放のプロジェクト)の根本構図は以下である。

その社会結合の原理は「自由の相互承認」の概念によって、その政治統治の原理は「一般意志」の概念で示される。これはつぎのように翻案される。

覇権的実力による統治を完全に排除し、成員全員の完全に対等な権利による政治権力の創設ということ。そして、統治権力の正当性を、一般意志の「最適表現」、つまり、可能なかきり成員の対等な権利を表現する仕方で合意決定を行なうことにおくこと、である。

そして、この二つの社会原理の結合だけが、長く続いてきた人間社会における普遍戦争とその帰結としての絶対支配を終焉させる社会を創出するのである。

相対主義を超えて

このように近代市民社会(自由な市民社会)の可能性の「原理」を確定すれば、現代資本主義を是正すべき根本の方向が明確になる。できるだけ切りつめて言えば、次のようになる。

第一に、政治統治の正当性を示す「一般意志の最適表現」の基礎理論を確立し、この根拠に基づく批判理論を展開すること。これまでわれわれがもっていた進歩と保守、右と左の対立図式、あるいは体制対反体制(体制批判)といった批判思想の図式は、無効なものとして廃棄されねばならない。

第二に、資本主義の是正の核心点も確定される。「自由の相互承認」の原理を追いつめると、それは「経済競争におけるスタートラインの完全な対等」の理念へとゆきつく。そして、この状態の実現こそが社会における「自由と平等(対等)の両立」の可能性の(したがって多様な価値の対等な共存を可能にする)唯一の原理であることも明らかになる。

現代資本主義を批判する思想は山のように生まれてきたし、いまも無数に存在する。しかしそれらは、さまざまな価値的な「当為」の理念で汚染されており、アメリカの政治思想の対立が示したように、「価値の多様」の困難を克服できず、それゆえ決して大きな合意を形成することができない。

現在哲学(思想)にとって必要なのは、これらの多くの「当為」の理念を、哲学の普遍洞察の方法によって普遍的、必然的な理念へと鍛えあげることである。

「価値(理念)は多様であり唯一の原理は不可能である」、という長く続いてきた相対主義の観念こそは、現代の社会批判の思想をことごとく挫折させてきた元凶である。この誤謬と蒙昧の思想を克服するために、われわれは、いま、もういちど、ルソーとヘーゲルの哲学から出発しなおさなくてはならない、と私はいおう。

関連記事