なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について

新しい社会批判思想を構築するために
竹田 青嗣 プロフィール

20世紀思想の破綻

20世紀初頭以来、マルクス主義そしてポストモダン思想が、現実を批判する代表的な世界思想として現われた。両者は、弱者の立場に立ちこれを代弁するという点で重要な役割を果たしたが、哲学的には、一方は、独断的な社会構想の理論に基づき、他方は、現状に対する相対主義的な批判主義をその武器とした。

だが、新しい社会構想としてのマルクス主義はその実験の過程で破綻した。ポストモダン思想のほうは、哲学的相対主義の根本的限界によって、個別的な批判には力を発揮したが、50年以上にわたって新しい社会構想を提示することができず、いまや人々に訴える力を完全に喪失している。

われわれはかろうじて、アメリカの政治思想に(70年代以後のロールズ以下の「正義論」論争)、可能な社会構想についての哲学的議論を見たが、ほぼ10年ほどの論議のあと立ち消えになり、新しい展開が現われる気配はどこにもない。

本質的な社会批判思想の不在

つまり、重要なことは、マルクス主義、ポストモダン思想のあと、新しい本質的な社会批判思想がまだどこにも現われていないということ、そのため、過渡期的形態として、何らかの普遍的なもの、実体的なものの根拠を模索する新実在論哲学や、ニーチェが指摘したような、古い倫理的観念(根拠)へのリアクション的模索、マルクスや東洋思想や宗教思想といったものへの“回帰の試み”が現われている、ということである。

興味深いことに、現代、一応政治思想と呼ばれる資格をもつものの一覧表を創ってみれば、たちまち100を超えるおびただしい数の政治理念を見出すことができる。

たとえば、民主主義と名のつくものだけで、自由民主主義、社会民主主義、宗教民主主義、新民主主義、人民民主主義、キリスト教民主主義、イスラム民主主義 熟議民主主義、人民主主義 プロレタリア民主主義 金力民主主義といった具合だ(自由主義がつく政治思想はさらに多い)。

しかしこれらはどれも、現代社会の状況の核心をつかむことができず、そのためにまさしく「価値の多様性」の時代にふさわしく、無数に分裂した主観的、共同的な価値理念の展示場となっている。

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