なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について

新しい社会批判思想を構築するために
竹田 青嗣 プロフィール

「自由な市民社会」の挫折

しかし、80年を境に世界資本主義の構造変化が生じ、現代資本主義の進展は急転する。先進国間の共存的な経済競争の条件は失われ、実体経済と金融経済の異常なアンバランスが常態となり、その結果、ピケティを参照する必要もないほど格差の再拡大が露わなものになってゆく(世界の1%の人間が世界の8割の富を独占しているというデータはよく知られている)。

つまり、世界の資本主義競争が、再び相克的な覇権闘争の状態へと向かいつつあるのだ(いまのところ、実力=武力を伴うものにはなっていないが)。

この先、資本主義はどこに向かうだろうか。社会主義の根本矛盾は、覇権的権力ゲームの進行による個人独裁と全体主義化にあった。資本主義の最大の弱点は、富の格差の拡大の自然的傾向であり、これは放置されると、やはり覇権的な金権ゲーム、あらゆる国家での全般的な「プルートクラシー」(金権政治)にゆきつく。

そして、プルートクラシーの蔓延は、必然的に、市民的民主主義の挫折、つまり「自由な市民社会」のプロジェクトの実質的な挫折と消滅を意味し、さらに、グローバルな資源や環境の問題を考慮するなら、その先に、世界が再び実力による普遍闘争と絶対支配の状態へと進んでゆく可能性がある(こうした現代資本主義の大きな趨勢について、私は『哲学は資本主義を変えられるか』で詳しく論じた。)

逆転し始めた「近代社会のプロジェクト」

要約するとこうなる。17世紀以降、ヨーロッパで「自由の普遍的解放のプロジェクト」としての近代市民国家が先発した。

このプロジェクトは19世紀、20世紀を通して大きな困難にぶつかり、近代に固有の大きな矛盾を生み出したが、20世紀後半になって、国家間が共存的経済競争の状態に入ったとき、このプロジェクトは大きな進展の可能性を垣間見せた。

だが、その後国際社会の経済競争は、もう一度相互不安による覇権的闘争へと向かっている。

そしてこの変化は、すべての人間に「自由な生」と「一般福祉」を与える近代社会のプロジェクトの進行の重大な逆転、世界を、再び普遍闘争と絶対支配の状態へと連れ戻しかねない様相を見せているのである。

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