photo by iStock

なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について

新しい社会批判思想を構築するために
資本主義の進展によって格差が拡大し、健全な民主主義と自由な市民社会が危機に陥っている現在の世界。「マルクス主義」「ポストモダン思想」といった20世紀の大きな思想が挫折していくなかで、新たな社会批判の思想を構築するにはどうすればよいのでしょうか?
超解読! はじめてのヘーゲル『法の哲学』』の著者・竹田青嗣さんによる特別寄稿です。

日本の思想・哲学は「死に体」にある

昨年12月、私は西研との共著『超解読!はじめてのヘーゲル「法の哲学」』を出した。これはいわば筆後エッセイなので、その趣意を述べてみたい。

われわれはこの本で、いまこそ、ルソーの『社会契約論』、ヘーゲルの『法の哲学』を現代の政治・社会思想にとって枢要の古典として読み直すべき必要を強調した。なぜなら、現在われわれが立っている社会的状況の中で、日本の思想・哲学がほぼ「死に体」にあるからだ。

現在、われわれが歴史の中でどういう場所に立っているか、哲学の望遠鏡から眺望してみよう。

近代国家-資本主義体制の黄金期

18世紀、市民革命によって登場したイギリス、アメリカ、フランスなどの近代市民国家は、ひとことで、人類歴史上はじめて現われた“万人の自由を確保する”社会の試みだった(これをハーバーマスに呼応して「自由の普遍的解放のプロジェクト」と呼んでよい)。

このプロジェクトは、人々にとって大きな希望の原理だったが、しかし思惑通りには進まなかった。19世紀以後、近代国家どうしはその「相互承認」を実現できず、むしろ激しい資本主義の闘争に突入し、最終的には二つの世界大戦というカタストロフィーにゆきつく。

だが、1945年以後、先進国どうしは、国連やブレトンウッズ経済体制など、国家間の戦争を抑止するための政治的、経済的システムを構築する(多くの代理戦争のために気づかれていないが、1945年は、大国間の戦争条件の消失という点で人類史上きわめて大きなエポックをなす)。そして近代国家-資本主義の体制は、60年代から70年代にいわば一つの黄金期と呼べるものを経験することになった。

その指標は以下である。普通選挙法の拡大(一般意志の表現の向上)、諸福祉法の拡充、大衆消費社会の登場、労働時間の短縮、富の格差の縮小、中間層の増大(一般福祉の充実とその進展)等々。

要するに、先進国どうしの共存的経済発展という状況が定着したのであり、これに加えて、東アジアの奇蹟に象徴される途上国での著しい経済発展は、先進国以外の国家の経済的発展の可能性をも示唆していた。少し遅れて現われるマルクス主義諸国家の挫折とあわせると、この時期は、いわば自由主義-資本主義社会の現代的「正当性」を示唆する時代だったといえる。

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/