「悲劇のヒーロー」阪神・小林繁が静かに燃えた1979年を振り返ろう

「22勝200奪三振」の凄まじさ

甘いマスクにスラリと伸びる手足。巨人のエース然とした伊達男に、ある日突然トレードが言い渡された。誇りを傷つけられた怒りと悔しさ。やりきれない思いをバネにして、男は古巣に立ち向かった。

キャンプ当日の宣告

人生には、ときに思わぬ「人事」によって、その後の運命を大きく左右される瞬間がある。

それは、プロ野球の世界も同じだ。

とりわけ、球界の盟主である読売巨人軍は、思いがけないドラフト戦略やトレードで、多くの選手たちを翻弄してきた。

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その思惑によって煮え湯を飲まされた象徴的な存在といえば、やはり'79年に阪神へとトレードされた小林繁だろう。

怪物・江川卓の獲得を狙った巨人は、「空白の一日」など、あの手この手を尽くすも失敗。

'78年のドラフト会議で阪神が江川との交渉権を得ると、今度はトレードでの獲得を模索する。

入団即トレードという「掟破り」を阪神に納得させるためには、相応の「対価」を求められる。そこで、巨人が放出したのが看板投手の小林だった。

巨人の遊撃レギュラーだった河埜和正は、その日のことをよく覚えている。

「春季キャンプで宮崎へと向かう移動日でした。羽田空港でコバ(小林)といっしょにお茶をしながら搭乗を待っていたら、球団の庶務部長が急にコバをどこかへ連れて行った。それっきり彼は戻らず、宮崎にも来なかった」

 

この後、小林はホテルニューオータニへと連れて行かれ、そこで球団代表(当時)の長谷川実雄から、阪神行きを通告された。有無を言わせぬ口調。それはまさに、人事異動を発令するかのような口ぶりだった。

日付が変わった2月1日未明、スーツ姿の小林は、大勢の報道陣の前で会見に臨んだ。

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