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小町と定家、そして塚本邦雄。古代から受け継がれる和歌を詠む心

それは、定家の夢なのかもしれない
百人一首を生み出した大歌人・藤原定家。彼が百人一首に採用した小野小町と自身の歌から、定家が百人一首に込めた思いとは何か、そして現代までつながる「三十一文字の歌を詠む」とはどういうことか。現代新書最新刊『百人一首 うたものがたり』の著者で歌人の水原紫苑さんが和歌の神髄に迫ります。

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小野小町は本当に美しかった??

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に  小野小町

〈花の色はうつろってしまったのね、長雨が降り続く間に。空しいまま、私の容色がもの思いに耽っているうちに衰えてしまったように〉古今集

百人一首の九首目、小野小町。私はこの歌が大好きだ。小町が天下の美女という不滅の名声を得ることになった一首である。

「ながめ」に長雨と物思いの二つの意味が掛詞になっている。空しくうつろった花と自分が、両方にかかる「いたづらに」で結ばれて、花のような美女の嘆きが完成する。

しかし、小町は本当に美しかったのだろうか。

平安初期の歌人であることはわかっており、六歌仙にも三十六歌仙にも数えられているが、生没年はもちろん、その生涯は未詳である。仁明天皇の更衣だったという説もあるが、確かではない。

本当に美女だった??(Photo by iStock)

だが、『古今集』に収められている小町の他の歌を読むと、小町の生きた日々らしきものは見えて来る。

思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
〈あの人を思って寝たから姿が見えたのでしょう、夢と知っていたら覚めずにいたのに〉
うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき
〈うたたねの夢に恋しい人を見てからというもの、夢というものは頼りにしているわ〉

どちらも夢の中でしか逢えない恋人に焦がれる苦しい恋心である。

絶世の美女に冷たい仕打ちをする男はどんな人物だろう。そこから、なかなか逢えない高貴な人、すなわち天皇ではないかという推測も生まれたのだが、考えてみれば美女だから恋人に愛されるというものでもあるまい。

また、美女でなくともわが身を花にたとえたい人生の春もある。

 

そして千年のアイコンに

ここでいったん小町美女説から自由になってみよう。

定家は、女に成り代わって歌を詠むことの名手だった。

女の心にも通じていたに違いない。自分を衰えかけた花にたとえる、女の屈折したナルシシズムもよく理解できただろう。

しかも定家は小町を、「余情妖艶」という自身の美意識に叶う歌人として自身の歌論書『近代秀歌』で高く評価しているのだ。

百人一首の撰歌で憂愁の美女のイメージを作り出すことが、定家の創作意欲をそそったのではないか。

計画は見事に図に当たり、能や歌舞伎に至るまで、美女小町は千年のアイコンとなった。

小町とは、実は定家の夢なのかも知れない。

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