2021.03.17
# 映画

『シン・エヴァ』、私たちは「ゲンドウの描かれ方」に感動するだけでいいのか? 根本的な疑問

杉田 俊介 プロフィール

そうした中で「新劇場版」でもっとも、大人としての責任をまっとうしようと努力しているのが、ミサトである。ミサトはシンジに仕事の意味をちゃんと説明し、ケアし、労おうとする。14歳の少年の決断に過度な帰責化をしない。

シンジの意志を尊重し、批判すべき点は批判し、その上で仕事の仲間として信頼してもいく。『序』のクライマックスの「ヤシマ作戦」でミサトが「シンジ君を信じる」と言うのみならず「初号機パイロットを信じます」と言うところなどは、率直にグッと来た。

そして『破』では、アスカが重傷を負い、エヴァに乗ることをボイコットしたシンジに対し、ミサトは「仕事から逃げるな」とも言わず、説得もせずに、ただ、隣で手を取って一緒に笑ってほしい、ということを望むのである(ここは「新劇場版」全体でも屈指の重要なシーンだと思う)。

 

そして『シン』に至ってミサトは、自らの未熟さを完全に払拭し(依然として愛する者たちへの不器用さは見られるが)、大人としての責任を生真面目なまでに果たしていく。

ミサトには、ニアサードインパクトを阻止するために犠牲となった加持リョウジとの間に、すでに14歳の息子(息子の名前もリョウジ)がいて、シングルマザーになっていたことが判明する。しかし、我が子には一生会わないと決めており、反ネルフ組織ヴィレの「希望の船」「神殺しの力」ことヴンダーの艦長として、ゲンドウらの人類補完計画を食い止めようとする。そうした難しい立場にありつつも、一貫してシンジを大事に想い尊重していたこと(『Q』の冷淡な態度にも一定の理由付けがされる)が明らかになる。

では結局、ミサトは出産して母親になったから成熟したということか。母は強し、ということか。それは『シン』全体の主題である母殺し(母との別れ)と矛盾するように見える。しかし、そうではない。

関連記事