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李克強首相が年に一度の記者会見で見せた習近平総書記への「無言の抗議」

1時間51分、スカスカの会見の中で…

年に一度の記者会見

先週3月11日の午後、日本は東日本大震災10周年一色となったが、中国では5日から行われていた年に一度の国会、全国人民代表大会が閉幕し、閉幕後に李克強首相が、こちらも年に一度、恒例の記者会見を開いた。

李克強首相のことは、先週のコラム(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80955)でも詳述したが、1時間51分にわたった会見を、私はCCTV(中国中央広播電視総台)のインターネット生中継で見守った。

結論から言えば、スカスカの会見だった。中国語で「人走茶涼」(レンゾウチャリャン=人が去れば茶は冷める)という言葉があるが、まさに冷めきった渋茶を飲まされたような気分だった。

そもそも1時間51分というと、映画一本分の長さで、ずいぶん長時間、会見をやるものだと思うかもしれない。だが、李首相はヘッドホンの同時通訳を使わず、一語一語、隣席の女性通訳に英語に訳させる(記者が英語で質問した場合は女性通訳に中国語に訳させる)ので、実質上は1時間弱だ。

同じ場所で4日前に会見を行った王毅国務委員兼外相は、同時通訳を使っていたので、トータルの時間はほぼ同じでも、2倍の密度があった。実際、王外相が質問を受けた記者は27人に上ったが、李首相はわずか11人だった。中身も、王外相の方がはるかに濃密だった。

なぜかくもスカスカ会見だったのか? これも先週述べた薄っぺらい政府活動報告と重なるが、第一に李首相はすでに「戦意喪失」気味に映る。任期はあとちょうど2年残っているが、すでに「定年後」に思いを馳せるサラリーマンのようだ。考えがまるで違い、性格的にもまったく合わない習近平総書記についていくのに、ほとほと嫌気がさしているのかもしれない。

しかも自らの権限は、まるで水たまりの水が日照りで渇いていくように、減っていく一方である。ちなみに、習近平総書記を称えるセリフは、王外相が会見で11回も繰り返したのに対し、李首相の会見では3回しか言及しなかった。

第二に、やはり体調不良に見えた。声は擦れ、目は虚ろで、途中で苦しそうに机上の水をガブリと飲む場面も見られた。だからこそ同時通訳を使わず、横の通訳が英語に訳している間、休息を取るようにしたのかもしれない。

だがそれでも、私が北京大学に留学中、李克強首相の北京大学の同級生に話を聞いたところでは「とにかく負けず嫌いの性格」とのことで、その片鱗が垣間見られた会見だった。

例えば、この日、11人の記者の質問を受けたが、最初に指名した記者はアメリカのCNBCテレビで、2番手がスペインのエフェ通信社、3番手が日本経済新聞社だったのだ。自身は中国の国務院総理(中央官庁のトップ)なのに、「身内」の中国メディアを、立て続けに無視したのである。どの国でも、首相の記者会見と言えば、まずは自国の記者を指名するのが通例であり、李首相が取った態度は異例だ。

穿った見方かもしれないが、これは李克強首相の習近平総書記に対する「無言の抗議」ではなかったか。

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いまから5年前の2016年2月19日、習近平総書記が、中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』社、国務院傘下正部級の国営新華社通信、国務院傘下副部級のCCTVを視察し、「メディア党姓論」を強調した。これは、「中国のすべてのメディアは中国共産党の色に染まれ」という指示で、かつて毛沢東主席が説いた「メディアは軍と並ぶ党を守る両剣」という考え方の延長線上にあるものだ。実際、この時以降、中国メディアの「習近平礼賛記事」が格段に増えていった。

李首相としては、そのような中国メディアを、心の底では信用していないのである。それよりも、海外メディアと本音のトークをしたかったということだ。重ねて言うが、李首相が表舞台で会見を開くことを許されているのは、年に一度きりなのだから。

 

私が李首相の記者会見をインターネットの生中継で見たのは、就任後初会見を開いた2014年以来、8回目だった。そのため、李首相の会見のスタイルが、何となく分かってきた。

李首相はおそらく手元に、「二種類のメモ」を置いている。一つは、習近平総書記(あるいはその意を受けた丁薛祥党中央弁庁主任)に強調するよう指示された単語を並べ、もう一つには自分が強調したい単語を書いている。それで記者の質問に合わせて、それらの単語をうまく挟み込んで発言していくのだ。なお、統計データなどはほぼすべて頭に入れており、4桁までの数値はスラスラと諳んじる。この辺りは習総書記と違う。

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