実は歴史深い「恋占いの石」

「恋占いの石」は一対。目隠しして反対側に着けば、恋が成就する。写真提供/地主神社

自ら訪れる若者にとっての目玉は、「恋占いの石」だろう。10メートルくらい離れた距離に、大きな石が2つ置かれている。両目を閉じて、もう1つの石に自力で到達すれば、いまの恋が成就するというもの。その日も、OL風の若い女性2人が「恋占い」をしていた。1人が石の直前で右に逸れたので、友人が「もう少し左」と導いて、どうにか到達。こうなると、彼女の恋は友人の助言を必要とする、と説明されている。

なるほど、「恋占いの石」は遊び心満載の現代的演出と思いきや、しかし、その歴史は実に深い。神社によれば、江戸時代の文献にも「老若男女、終日嬉々としてたわむる」とか「目をふさぎ手、堀すへたる石より石まで歩み寄るに」という記述が残っているという。さらには、石そのものは縄文時代のものだとアメリカの物理学者が明らかにしたらしい。どうやら祭祀に使われたようなのだ。じっと石だけをみつめていると、ここから縄文時代までワープできそうな不思議な気分になる。

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ところで、なぜ清水寺の中に神社があるの?と不思議に思う人も多いだろう。実は江戸時代までは、神と仏が一体とされ、神社は守護神として境内に祀られていた。だが、明治政府の政策でお寺と神社は分けられ、寺の権力が弱められたという歴史がある。

明治維新とは下級武士による革命で、政権をとったものの彼らには徳川家以上の教養はなかった。幕府を倒してトップに立つには、江戸の文化を否定せねばならない。まずは幕府と密接な関係にあった寺の権力を弱め、同時に、自分たちが賢いと見せるための新しい価値が必要で、神道と西欧文化を2本の軸に据えた。諸説があるが、この解釈が腑に落ちる。

明治政府の神仏分離令で「地主大権現」から「地主神社」に名前を変えた。撮影/秋尾沙戸子

地主神社は清水寺よりずっと前、古代からこの地に存在した。本殿が建立されたのは8世紀、平安京ができる以前で、十一面千手観音菩薩を祀る「清水寺」もそのころに創建された。最初は坂上田村麻呂によって「北観音寺」と命名されたが、清い水が湧き出ていることから「清水寺」となった。地主大権現はその鎮守社だ。