3月8日は国際女性デー。2021年の3月8日は、YouTubeで、ウェビナーで、クラブハウスのルームで、「国際女性デー」に向けたさまざまな講演会や勉強会が開催されていた。「女性のリーダーシップ」「男女の偏見をなくす」「選択的夫婦別姓」「女性の就労」「女子アナへの視点」「女性の性と健康」「NoBagForMe」等々……多くのテーマで活発に議論が交わされていた。世界中でこうして歴史を振りかえりながら女性のエンパワメントについて議論する。とても素晴らしいことだと思う。

FRaUでも、バービーさんと産婦人科医のえんみちゃん、#なんでないのプロジェクトの福田和子さんのお三方による「女性の身体の悩み、どうしたらいい?SRHRを真剣に考える」と題したウェビナーを開催した。

すべての議論に共通するのは、「かくあるべし」からのがれ、「個人の選択」を尊重しようという話だ。そのために必要な権利の重要性も訴えている。選択的夫婦別姓はその最たるものだし、避妊や妊娠についても、働き方についても、「女性だからこうしろ」「女性だからこれはダメ」という呪縛を解こう、きちんと選択肢を持つことは立派な権利だし、それぞれが自分で選択し、それぞれの能力を活かして生き生きできることが大切だと。

そんな時に思いだしたのだ。かつて筆者が言われたときのことを。そして、女性が自ら自分たちを縛る呪いをかけていることが、まだまだあると改めて感じたのだ。

「働くあなたの子どもの将来を見たい」

それは10年以上前のこと。筆者が子どもの関係で、ある専業主婦の女性と初めて出会ったときのこと。育児休職の話をすると、その女性は微笑みをたたえてこう言った。
「○○ちゃんのママ、働いているのね」
そして、こんな言葉を続けた。

「働くあなたの子の将来を見てみたいわ」

頭にクエスチョンマークがついた。それはどういう意味なのだろう。なんであえてうちの子の将来を「見てみたい」のだろう。

良くわからないままになんとなく表面的な会話をして帰途についた。そのときにようやく気が付いた。も、も、もしかしたら「仕事している母親の子どもがまともに育つのか見てみたい」ってことか! 
カッと顔がほてって、同時にとても悲しくなった。そういえば、「料理はできるの?」とも聞かれた。料理は好きなんですよーと普通に答えたが、「働いている」筆者は料理はしない人で、子育てに不安のある人と思われていたのだろうか。

微笑みの中で言われて頭にクエスチョンマークが……Photo by iStock

「本意」はわからないけれど、そもそも筆者の仕事の内容についても、性格についても良く知らない初対面の人からいったいなぜこういう言葉が出てくるのかなあと考えた。これはそういう「有償で働いている人VS.そうでない人」でも「産んだ人VS.産まない人」というわかりやすい対立構造でないだろうとは思った。なぜなら、「仕事が好きだから、子どもに働く姿を見せたい」と筆者がぽろっといったことをずっと覚えてくれていて、感動したと言ってくれる専業主婦の友人もいたし、逆にいえば、「子どもを産んだらクリエイティビティがなくなる」と言って部下が出産することを否定した女性の上長もいたからだ。

要は「子どもを産んだら外で働くことなんてできない」「外で働いたら子育てなんてまともにできない」という偏見は、ある種の属性に必ずあると決めつけることはできないわけだ。子どもがいてもいなくても、外で仕事をしていてもいなくても、人にはそれぞれの考え方があるのだから。

では「あなたの子の将来が見てみたいわ」は悪意なんだろうか。ある種のマウンティングの意味もあるし、優しくはない言葉だとは思うが、それよりも問題点ともいえる背景は別のところにあるのではないか。この彼女の発言の裏には、ある意味「完璧に家事育児をするべし」と思っている「偉すぎる母」に共通するところがあるように思うのだ。