10年目の福島報道に「非科学的な寄り添い方」はもういらない

実は「コロナ問題」も根っこは同じ

あれから10年経って思うこと

東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故から10年になる。この未曾有の大事故について我々は今、どう解釈すべきなのかーー。

もしかすると「未曽有の大事故」という表現に、関西以西の多くの方々にはピンと来ないかもしれない。何しろ「遠い場所の出来事」だからだ。

10年前の東日本大震災は、「帰宅難民になった」「かなり揺れた」「コンビニから食べ物が消えた」、さらに「東京にも放射能が来る!」ということで、在京メディアにも当事者意識があった。だから連日のように大きく報じたし、現在もまた「10年の節目」ということで大きく報じている。

阪神大震災から20年の2015年、東京のメディアの扱いは小さかった。それは「遠い場所の出来事」であり、当事者性が薄かったからであろう。

私のように東日本大震災の際、東京にいて強い危機感を持った者(ただし東北・茨城県民とはレベルが違う)でさえ、1993年の北海道南西沖地震や2004年の新潟県中越地震は「遠い場所のこと」と認識していた。四川省やニュージーランドの大地震に近いような感覚さえ持つほど、その深刻さにピンときていなかった。

1995年、私が大学3年生の時に起こった阪神淡路大震災については、少し感覚は違った。神戸には行ったことがあったし、友人に関西出身者が多かったこと、火事の映像や倒壊した高速道路の衝撃映像を見ていただけに深刻度合いは高かった。ただ、それでもやはり「遠い場所の出来事」と感じてしまったのは事実である。

会社員時代の2歳年下の後輩は、阪神大震災の時は神戸に住んでいて、身近な人も亡くなったという。彼は「ちょうど受験のタイミングで地震が来て、家は壊れ、受験もできず、一浪しました。でも、一浪したお陰でこうして中川さんとも会えたんですよね」と語っていた。この時、少しだけ阪神大震災に対して想像力を上乗せすることができた。

人間というのは「当事者性」を少しでも獲得することで、本当に困っている人や苦しんでいる人について語ることができるようになるのだと思う。「想像力の上乗せ」である。

津波、地震で家を失ったり家族を亡くしたりした人々、福島から避難せざるを得なくなった人々、いわゆる「原発関連死」で亡くなった人になり切ることはできないが、当事者から聞いた話を紹介しながら、私がこの2月に訪れた東京電力福島第一原子力発電所のことを書いてみたい。

別に何かを押し付けたいわけではない。震災当時東京にいて、「これでこれまで築いたものがすべてぶっ壊れた……」という感覚を抱くとともに、「これは相当ヤバいかも……」と日々思い続けていたくせに、いつの間にか元の日常に戻っていった自分が、あれから10年経って思うことについて書く。

当然ながら私は岩手・宮城・福島・茨城の人たちほどのダメージは負っていない。比較対象にすらならない。それはつまり、福島をはじめとした被災地で多くの人々が頑張ってこられたから、東京の私が「非当事者」であり続けられたというだけのことである。

世の中には私の知らないことが多過ぎる。そのことに無自覚でいると、偏見や誤解を基に無神経な発言をして誰かを傷つけてしまうことがある。だからこそ2017年2月、私は沖縄と米軍基地の状況を実際に自分の目で見るべく、沖縄へ行った。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51162

そこで感じたのは、「オレはあまりにも安易だった」「こりゃあ沖縄について論じるのは自分の知識では到底不可能だ」という当たり前の現実だった。

 

今回の福島に関しても同じことが言える。ただ、実際に事故現場に行ってみたことと、この記事を書くにあたり、福島の関係者と接点を持ち多数の関連文章を読むことにより、多分この数ヵ月のうちに、以前の5倍ぐらいの「想像力の上乗せ」ができたと思っている。

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