2021.03.10
# ラグビー

防災士となったユニークラガーマンが語った被災地釜石への熱き思い

たとえ収入が減ってもここでやりたかった
大友 信彦 プロフィール

釜石に来たのは必然だった

シーウェイブスに加入した2019-2020年のシーズン、山田はシーウェイブスが戦ったトップチャレンジリーグの全7試合に先発し、すべての試合で80分間フルタイム出場を果たした唯一の選手となった。

このシーズンはワールドカップに伴う変則日程で、トップリーグへの昇格をかけた入れ替え戦は行われないことがあらかじめ決まっていた。もしかしたら、目標の見えないシーズンと感じるチームや選手もあったかもしれない。だが山田の感じ方は違っていた。

 

シーズン最初の試合は、ワールドカップの行われた釜石鵜住居復興スタジアムで行われた。世界から訪れた観客の歓声がこだました仮設スタンドは取り払われていたが、このスタジアムが特別な場所に作られたことは、山田を含めシーウェイブスの選手誰もが知っていた。

ワールドカップ後の初戦となったコカ・コーラ戦は終了直前に追いつき 24-24 の引き分けだ った

当時のシーウェイブスには、震災当時を知る選手は片手に満たない数まで減っていたが、試合の前日には、メンバー全員でスタジアムに隣接する伝承施設「いのちをつなぐ未来館」を訪れ、震災講話を聞いた。

話をしてくれた館員の菊池のどかさんは、震災当時は中学生だった。聞いていた誰もが、震災の日からこれまで、釜石の人たちが過ごしてきた時間の意味と向き合った。

いのちをつなぐ未来館の菊池のどかさん。試合の日は「あなたも逃げて」の碑の前で講話して いた

「ここで試合をする以上、80分の間、1秒も後ろを向くわけにはいかないんです」

その試合を戦い終えて、山田は言った。

「たくさんのひとが犠牲になった場所に作られたスタジアムです。そこで試合をする僕たちを、ここで育った子どもたちが見ている。未来のここを担う子どもたちに、勇気を感じてもらうプレーをしなければいけない。今年の順位がどうなるか、勝ち負けがどうかということよりも、僕らができることは目の前のゲームで全力を出し切ること。この場所で試合をする意味を考えてピッチに立つことです」

釜石鵜住居スタジアムにはこの日もたくさんの大漁旗が翻った

そうして2019-2020年のシーズンを終え、つかの間のオフに、山田は防災士の講習を受け、資格を取った。新年度はプロ選手として契約できた。

そして、コロナ禍が世界を襲った。トップリーグも、世界のラグビーも、一斉に呼吸を止めた。折しも、日本のラグビー界は新リーグ設立へ動き出していた。それまで夏に始まり初冬に終わっていた国内シーズンには、海外のシーズンや日本代表の活動にあわせるため、1月に開幕する新たなカレンダーが導入された。それは、これまでなら釜石のグラウンドは雪に閉ざされ、呼吸を止めていた季節だった。これからは、そんな時期も、試合をしなければならない。

2021年を迎えた。

2月になると、せわしなくなる。メディアは「3・11」にあわせた企画を考え、問い合わせの電話が鳴り、取材者が釜石の町へやってくる。その姿が日ごとに増す。

そんな時期にラグビーの練習をする、試合に出かける、そんな日々を過ごすのは、山田だけでなく、シーウェイブスの選手たち誰もにとって初めてのことだった。誰もが否応なく記憶を掻き起こされる。この町で暮らし始めて間もない山田の心にも、そんな感情はわき上がる。心が波打つ。

そして、気づく。シーウェイブスの選手たちにとって、シーズンを戦いながらこの日を迎えるのは初めてかもしれないけれど、釜石の人たちは毎年、日常の暮らしを、いつもと変わらない生活の負担やストレスや、喜びや悲しみを感じながらこの日を迎え、過ごしていた。釜石の人たちは、震災から何年が過ぎようとも、復興が進もうが遅れようが、この土地で生きていくのだ。

プロ選手として、市役所勤め時代にはなかった時間ができた分、山田は地域の行事にも積極的に関わるようにしている。市の広報で行事を知ると、自分から担当の人に連絡し、なるべく顔を出す。「シーウェイブスの選手も忙しいだろうから……」なんて気を遣われて、地元の人たちと距離を取ったままでいたら、せっかく小さな町に来た意味も半減する。

人口は3万人ちょっとだけど、とびきりラグビーが好きな人たちがたくさん住んでいるこの町で「この前はいい試合をしてくれたな」「今度の試合は勝ってくれるかな」……そんな話題を提供できる存在でいたい。そんな人たちの、力になれるかどうかはわからないけれど、その人たちの喜びや、毎日の暮らしのちょっとした風景に、自分たちも存在していたい。

試合を終えてサポーターと交流する時間は無上の喜びだ。こんな交流の場が早くもどってほし い(2019 年 11 月のコカ・コーラ戦で)

「釜石に来たのは、今では必然かなと思っています」と山田は言う。

「もう、他のところでプレーすることは考えていないし、想像できない。ここでできる限り、体が動く限り、選手としてラグビーをやっていきたいと思っています」

雪が積もったら雪かきする。嵐がきたら助け合う。祭りがあれば一緒に騒ぐ。

ラグビーを愛し、ラグビーに愛された町で暮らす幸せを実感した今、山田はこの町で、競技生活のすべてを燃やしきろうと心に決めている。

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