防災士となったユニークラガーマンが語った被災地釜石への熱き思い

たとえ収入が減ってもここでやりたかった

もっと何か、できることはないのか

2月のある朝だった。カーテンを少し開けて外を見ると、二重ガラスの窓の外が白く染まっていた。雪が積もっている。

「これは、また雪かきだな、この冬もう何度目だろう」……山田龍之介(29歳)は呟いた。

 

ラグビーチーム、釜石シーウェイブスでプレーする山田は、釜石市に移住して2度目の冬を迎えていた。チームは1月から始まるシーズンに備えて準備していたが、コロナ禍に伴って開幕は約1ヵ月延期されていた。

去年はこんなに雪かきしたかなあ……そう考えて、山田は苦笑した。釜石に来て初めての冬を過ごした1年前は、1月半ばにはシーズンが終わっていた。寒さが本格的になる1月後半からの厳冬期は、もうオフに入っていて、ラグビーはしていなかった。

2020年9月、ヤマハ発動機戦でラインアウトのボールを捕球する山田

そうか、と山田は思い出した。去年の2月は、ちょうど防災士の資格を取ろうとしていた頃だったな……。

2020年2月。釜石の市民ホールで「防災士 養成研修講座」が開かれていた。

「防災士」とは、阪神淡路大震災の教訓にもとづき、災害に備え、自ら地域防災力を高めようという趣旨で設立されたNPO法人・日本防災士機構が認定する資格だ。大きな災害が起きたとき、国や自治体の救急隊が到着する前の初期対応は、地域で、職場で、小さな単位で行わなければならない。そのための知識と技術を身につけるのが目的だ。

受講していた人たちの中に、ひときわ目立つ大男がいた。187センチの長身。盛り上がった背中と太い首と腕。目鼻立ちのくっきりした顔に蓄えた髭。一度見たら忘れられない容姿の持ち主。それが山田だった。2日間の講習を受け、資格取得試験を受け、山田は防災士の資格を得た。

現役のラグビー選手がその講習を受けるのは異例だった。

「実は、前のチームにいたときも、資格を取りたいと思って申し込んでいたんです。結局、移籍することになってキャンセルしたんですが。それが、釜石に来たら、市民ホールで出張講座を開いてくれて、割と簡単に取れるということがわかって、すぐ申し込んだんです。千葉にいたときは、受講できる場所も限られていて、指定された大学キャンパスまで行って受講しないといけない……という感じで交通費も時間もかかる。でも釜石では、市民ホールはすぐそこですから」

「小さな町は便利ですね」と山田は笑った。山田はその前年まで、千葉県我孫子市に本拠地を置くNECグリーンロケッツでプレーしていた。

2016年はトップリーグで3試合に出場した。秩父宮のNTTコミュニケーションズ戦で

NECでは社員選手として5年間プレーした。職場は総務部で、担当はBCP(事業継続計画)。業務の中心は防災計画の作成だった。

災害が発生したときに備えたマニュアル作成、平時の訓練計画などを進める過程では、全国の事業所のことも調べる。東日本大震災で被災した岩手県の事業所からも、実際に起きた問題や、そこで得られた知見をヒアリングした。

その過程で、防災士という資格を知った。行政に頼らず、企業が民間の立場で災害に備えるには、防災の知識と技術を持つ人材を育てておくことも必要だ。その知識を得たいと思った山田は防災士の研修と受験を申し込んだ。

だが、その矢先、2018年度シーズン終了後の面談で、チームのゼネラルマネージャーは山田に告げた。

「悪いけど、君は来年の構想に入ってないんだ」

NECの社員選手だった山田は、会社に残るか、他チームへ移籍してラグビーを続けるかの選択を迫られた。山田は27歳で、まだ学齢に達していない子どもも2人いた。生活を考えれば、会社に残ってサラリーマン生活にシフトする手もあった。だが、山田には、まだラグビーをやり尽くしていない気持ちがあった。移籍してでもラグビーを続けよう……。

そのとき、山田龍之介の頭に浮かんだのが「釜石」の2文字だった。

「職場で防災を学んでいたので、被災地については関心がありました。東日本大震災のとき僕は大学1年生で、何かしたいと思ったけれど、実際には何もできなかった」

大学3年の夏、2012年8月には立教大ラグビー部でボランティア作業に訪れ、鵜住居(うのすまい)地区の仮設商店街の開店準備、地域の盆踊り会場の設営作業などに汗を流した。また、防災センター跡地や鵜住居駅跡を見学し、震災被害から再建した旅館・宝来館で、自身も津波から生還した経験を持つ岩崎昭子女将から震災講話を聞き、違う汗も流した。

釜石商工のグラウンドではシーウェイブスと合同練習も行った。ボランティア作業に行ったはずなのに、できたことよりもできなかったことの多さ、被災地の困難の大きさ重さばかりが心に残った。

それ以来「もっと何か、自分にできることはないのか」という思いを山田はずっと抱えていた。

埋め火のようにくすぶっていた思いが、チームから戦力外通告を受けたことで、ふたたび熱を帯び始めた。自分はまだラグビーを続けたい。続けるなら……釜石でやってみたい。8年前には何もできなかったけど、今だったら今なりに、できることも増えているのでないだろうか。

2018年7月、釜石シーウェイブスとの試合に出場したNEC時代の山田(左から2人目)

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