多くの日本人が「原発に賛成か反対か」明言できない…大震災から10年、精神科医の苦悩 #あれから私は

原発事故で日本人が突き付けられた課題

私は2012年4月に、東京から東日本大震災・原発事故によって大きな被害を受けた福島県南相馬市に移住し、その後に精神科医として活動を続けてきました。

精神科医療の実践には「政治的なもの」が影響してくることがあります。南相馬で過ごした日々は特にそれを強く、身近に感じていました。その中で、とにかく無我夢中で9年間を過ごしました。

原発事故によって日本人が突き付けられた課題は、「原発に賛成するのか、反対するのか」「これからのエネルギーをどうするのか」という内容です。これはとても政治的なものになりえます。原発事故によって、被災者の生活に政治的なものからの影響が直接に及ぶようになりました。

震災直後であれば、「裏の畑で採れた野菜をおじいさんが孫に食べさせようとする」行為が、社会全体に関わる政治的な課題と結びつき、家庭内の緊張を著しく高めてしまう、そういう状況が出現していました。

〔PHOTO〕gettyimages
 

私の問題意識からは、原発に賛成か反対かという議論を始める以前に、少なくない日本人が、「自分は原発に賛成である/反対である」という問いに対して個人としての意見を持ちえない状況に着目していました。

それは、日本的な組織や集団が、社会的な影響がある課題について所属員が個人的な意見を持ちかつそれを表明し、その意見に基づいて行動することを許容しない傾向があることと、密接な関係があります。

そうすると当然、「原発に賛成か反対か」という課題についても、それぞれの個人が一貫した意見を持てるところまで突き詰めて考えることを行いません。その場の空気に合わせたあいまいな意思表示を行うに留め、結論を出すことは先送りします。忙しいからと、目の前の事柄に専念して難しい大きなことは回避する、そういう行動を私たちは選びやすいのです。

2011年の前には、私たちのほとんどが原発の「安全神話」を信じていました。しかしさすがに原発事故のようなことまでが起きた後には、自分たちのそのような傾向そのものを客観視する必要があるのではないか、と考えました。

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