『呪術廻戦』は「死」をどう描いているか、『鬼滅』『チェンソーマン』との決定的な違い

杉田 俊介 プロフィール

五条先生は最初に、虎杖に対して「呪いに遭遇して普通に死ねたら御の字/ぐちゃぐちゃにされても死体が見つかればまだましってもんだ」と説明していました。しかしそれでも虎杖は「呪いに殺される人も少しは減る」のであれば、呪術師として命を懸けることを躊躇しません。

彼には「自分【テメエ】の死に様は/もう決まってんだわ」という「覚悟」があります(第2話)。『呪術廻戦』の始まりの時点で、主人公の虎杖は、いわばイノセントで美しい理想主義を持っていると言えます。しかし、彼は決して他人の命を理想通りに助けることができません。

たとえば虎杖が助けようとする対象の中に、二度目の無免許運転で下校中の女児をはねて少年院に送られた男性が登場します。ここでも理想主義的な態度を貫く虎杖に対し、伏黒は「オマエは大勢の人間を助け/正しい死に導くことに拘っているな/だが自分が助けた人間が将来人を殺したらどうする」と問いかけます(第6話)。この問いに虎杖はうまく答えられません。

伏黒が表紙のコミックス第二巻
 

他方で、いっけん冷静で現実主義的にも見える伏黒恵にも、彼なりの理想(生き様)があります。それは「不平等な現実のみが平等に与えられている」のであれば、「少しでも多くの善人が平等を享受できるように/俺は不平等に人を助ける」という個人的な信念です。だからこそ、虎杖のような善人が死んでいくのをただ見ていたくはない。

善悪や真偽の価値基準が複雑に絡まり合った現実の中で、それは「結局は我儘な感情論」にすぎない、という自覚が伏黒にはあります。「でもそれでいいんだ/俺は正義の味方【ヒーロー】じゃない/呪術師なんだ」(第9話)。

編集部からのお知らせ!

関連記事