『呪術廻戦』は「死」をどう描いているか、『鬼滅』『チェンソーマン』との決定的な違い

杉田 俊介 プロフィール

『呪術』が描く死、その独特の重み

「ポスト『鬼滅の刃』」の呼び声も高い芥見下々の『呪術廻戦』は、コミックスの売り上げが2021年2月時点で早くも3600万部(電子書籍を含む)を超えたと言います。2020年10月3日から放送開始になったテレビアニメ(放送中)も、世界中で大きな話題を巻き起こしています。

『呪術廻戦』については様々な観点からの論評が可能でしょうが、一つの大きなテーマとして、人間の「死」の問題があります。この作品には、読者に対して、死を想え、死を学べ、とつねに問うてくるようなところがあります。『鬼滅の刃』の残酷な死、『チェンソーマン』の軽すぎる死に比べても、『呪術廻戦』の場合は「死」のありかたに独特の重みがあります。

〔PHOTO〕iStock
 

ここでは、『呪術廻戦』がどのように「死」を描いているかを具体的に辿りつつ、同作が「死の理不尽さ」や「不平等な死」を独特の手触りで描き出していることを追っていきたいと思います。また、そうした死の理不尽さと対峙したり、その克服を模索する際に、大人の責任について同作がどのように考えているかについても触れていきます。

主人公である虎杖悠仁【いたどり・ゆうじ】を育てた祖父(虎杖の両親は現時点では不明です)は、第1話で病死するのですが、死の直前に孫の悠仁に次のように言い残します。「オマエは強いから人を助けろ/手の届く範囲でいい/救える奴は救っとけ/迷っても感謝されなくても/とにかく助けてやれ/オマエは大勢に囲まれて死ね/俺みたいにはなるなよ」。

こうした虎杖の立場は、『鬼滅の刃』の煉獄さんに似ています。若くして病死した母親の「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は/その力を世のため人のために使わねばなりません(略)/弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」(第64話)という遺言的な言葉が、煉獄にとっての倫理観となり、同時に呪いともなったように、虎杖にとっても祖父の言葉はそのまま倫理観となり、呪いともなります。

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