渋沢栄一翁/photo by gettyimages

薩摩・西郷隆盛が元凶…? 新一万円札の顔、渋沢栄一を悩ませた「ニセ札問題」

大河では描かれないかもしれない歴史

「西郷どん」と相見えて…

先月から始まったNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公は言うまでもなく、戦前期の日本経済の重鎮となった渋沢栄一翁である。ドラマではまだ家業(藍の商い)の見習いをしている青年に過ぎないが、幕末の混乱の中、尊皇維新運動に触れて、若き志士の一人となる。

吉沢亮主演『青天を衝け』キービジュアル
 

本来ならば、江戸か京都で倒幕運動に身を投じるはずの栄一が、あるきっかけで徳川御三家のひとつである一橋慶喜の家臣になるというのが、歴史の面白さである。

尊皇攘夷のはずが、徳川方で働くのは何とも皮肉な話だが、さらに皮肉なことに、幕府がついに倒れるという寸前に、慶喜の弟である徳川昭武に随行、フランスに滞在して、そこで西洋文化、ことに株式会社の制度に感銘を受け、帰国後は一転、明治新政府の役人になる――まさに波乱万丈の人生と言えるだろう。

のちに渋沢は新政府、ことに大隈重信や大久保利通ら政府首脳と対立して、役人を辞める。以後は一貫して、実業家として民間の銀行や企業の育成に携わっていき、後に「日本経済の父」とも言われるようになるのだが、神田小川町にあった渋沢の家に、ある日、大きな図体の男が訪ねてきた。

「渋沢さんはおりもはんか」と玄関口で、丁寧な、しかし、堂々とした声で挨拶をしたのは、他ならぬ西郷隆盛であった。時は明治5年(西暦1872年)冬、まだ西郷が征韓論で新政府を飛び出す前、渋沢も新政府を飛び出す前の時期である。

訪ねてきたのが大西郷、しかもお供も付けずに一人での来訪と知って、さすがの渋沢も驚いた。このときの西郷は押しも押されぬ「維新の三傑」の一人であり、日本でただ一人の陸軍大将、参議の一人。世間は「大(おお)西郷」と呼び習わしていた。

上野公園の西郷隆盛像。『青天を衝け』では博多華丸が演じる/photo by istock

しかも、この時期、岩倉や大久保といった主要メンバーはみんな遣欧使節団(明治4年~6年)で出払っており、西郷は事実上の新政府のトップである。

一方の渋沢も「大蔵省には切れ者がいる」という評判こそあったが、大西郷に比べれば、しょせんは末端の小役人に過ぎない。また年齢も渋沢は32歳で、まだまだ世間からすれば若造であるのに対して、西郷は維新の荒波を越えた45歳の働き盛り。

しかも世間の男たちはみな断髪しているのに、西郷は依然として髷を結っているから、おのずから風格がある。

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