“自分で選ぶ”ことが
できないまま大人になった

——相手が求めているかどうかで人生の選択をしていく。それは自我がなかったということなのでしょうか?

子どもの頃からずっと、「自分で選ぶ」とか「決める」ということをやってきた実感がなく、言われたほうに行くのが当たり前という風に育ってきて、自主性がないまま大人になってしまったんです。反抗期はあったんですけど、母に何かを言うというより、ノートにひたすら「ふざけるな!」とか書いたりして(笑)。でも、それを母に見られて「ヤダー!」とか言われるので、結局は母の手のひらで転がされていたんですよね。すべては監視下にあったという感じです。

-AD-

母に手をあげられることもありましたが、そのときは怖いというより、痛いから嫌だと思っていました。母は、どうしても言うことを聞かせたいとき、他人がいるところであえて怒鳴るんです。そうすると、恥ずかしいし、静かになって欲しいという思いから私は母に従ってしまう。今考えると異常なことですが、渦中にいるときは、だからと言って家を出ようという発想にはなりませんでした。

だから、高校生くらいまでは家を出るという発想はなく、大学生になってまわりの人に母や家の話をするようになってから、『やっぱりうちっておかしいかも?』と思い始めたんです。家出してもすぐに母に見つかってしまうと思っていたんですが、大学の先輩に法律に詳しい人がいて、母のことをブロックできる法的措置があることを知り、就職して思い切って家を出ました。しばらくは罪悪感があったんですが、「今日はこれを食べる」「明日は誰に会う」みたいな当たり前のことを自分の裁量で決められることに幸せを感じていました

(C)ハミ山クリニカ 『汚部屋そだちの東大生』(ぶんか社)