紛争地で一体何が…いとうせいこうが調べないで現場に行って見たことを全部書く理由

石戸 諭 プロフィール

見に行くことくらいは“軽々しく”

同じノンフィクションでも例えば『福島モノローグ』(河出書房新社)は文字通り、聞き書きでいとうのインタビューを受けた福島の人々が一人ずつ思いを語っていく。

《『想像ラジオ』を書いた時に、被災地に行って、実際に人の話を聞かないまま、東日本大震災の話を書いたことに、罪悪感があった。今度は徹底的に聞いて、書こうと決めていたから、一人称でずっと語るものを、インタビューした僕が構成するという形にしたということになるのかな。こっちは「俺」は出てこないで、僕が編集的な役割に徹している。》

いとうの取材は、目の前の人が「言った」ことを聞くこと、光景を見ることで完結している。言い換えれば、相手が言ったことの事実関係を調べるのは最小限にとどめている。

 

《『ガザ、西地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』では、僕はガザ地区で生きる人たちの話は聞いたけど、彼らを支配するハマス(イスラム原理主義組織)の話は聞いていないし、作品に必要だとは思わなかった。あくまで患者たちからの伝聞までを僕が赤裸々に書きますよ、それ以上のことは書けないし実質わからないだろうと思っていた。やれるのは、こういう話を、この人から聞いたんだというところまで。

彼らの発言が正しいかどうかデータで裏付けろ、証拠になるような写真や動画はあるのか、と言われても、フェイクニュースばかりの今、そんなものはいくらでも捏造できるよね。最終的には、目の前の人間がどのような熱でものを言っているか、こちらはじっ〜とみて、こいつの言っていることは信じられるんじゃないか、というところにしか立脚できないんじゃないかって思う。

僕のやり方は、物見遊山のように見えるという人もいるんじゃないかな。タイトルからして『見に行く』で、すごく真面目な人からは反発があるだろうと思うよ。でも、今の時代、「見る」ことさえままならないのだから、まず見に行くことくらいは軽々しくやったほうがいい。その軽々しさに意味があるんじゃないかなって。》

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