2021.03.16

古市憲寿×渡辺浩弐「コロナ後に〈民主主義〉は生き残れるのか、二人の作家が考えるその展望」

渡辺浩弐氏のシリーズ小説である『ゲーム・キッズ』の最新刊『2020年のゲーム・キッズ →その先の未来』(星海社)が刊行された。同シリーズについて社会学者の古市憲寿氏と行った対談をお送りする。前編「渡辺浩弐×古市憲寿「コロナ禍で『ディストピア』はこんなに身近になった」」はこちら。

生と死の輪郭が揺らぐ

渡辺 最近気になっている変化と言うと「生と死の境界が曖昧になってきていること」があります。コロナショックでみんな死を意識しているなかで、自分の人生をネットにアーカイブして死後まで残そうとか、VRなどの技術を使って死者を再現してみようとか、そういう動きが自然に始まっている。その視点から見ると、古市さんの『平成くん、さようなら』は現在の状況を予知しているようなところがある気がします。

 

古市 2017年に『金スマ』という番組で、亡くなったテレサ・テンさんが3Dホログラムを使ってVR として歌うという企画がありました。2020年にはNHKが美空ひばりさんを「復活」させ、新曲を発表していましたね。人が死ぬとはどういうことかを考えさせられる点で、すごく興味深い試みだと思います。

人が肉体的に死んだとして、ここまで情報が残っていて、AIスピーカーのようにしゃべれるとなってしまったら、それは果たして「死」なのか。実際、年に1回しか会わない人もいれば、死んでいるのに毎日思い出す人もいる。どちらが自分にとって「生きている」のだろうと考えると、生と死というのはすごく曖昧ですよね。

生と死のあいまいさや、いかに我々は死というものを乗り越えられるのか、ということを考えながら『平成くん』を書きました。古今東西、人間は宗教などを使って死というものを乗り越えようとしてきましたが、現代人はテクノロジーで死を乗り越えられるのかも知れない。その可能性を扱ってみようと思ったんです。

渡辺 自分をバーチャルな人格にする試みはどんどん進んできていますよね。SNSは今、自分のデータをインプットする容器として進化していて、行動パターンや会話パターンをたっぷり搭載したアバターが自分の代わりに行動してくれるようになるまで時間はかからないでしょう。アバターは本人の死後も動き続けるわけですから、やがては生きていることと死んでいることの境界が曖昧になっていく可能性があります。最近になって『平成くん』をよく思い出すんです。

古市 『ゲームキッズ』でも「末恐ろしい子供」で、生と死の問題を扱っていますよね。今の子どもって、生まれた瞬間から膨大な写真と膨大な動画を撮影されますよね。仮に子どもが30歳になった時、対面しているその人と、30年分のアーカイブを比べたら、後者の情報量のほうが多いとも言える。その意味でも、「生きている」ということ自体が、相対化されつつあるのかも知れません。昭和時代は、紙のアルバムに収まるほどの写真と、思い出話程度のアーカイブしかありませんでしたからね。

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