正義を守るために我々が忘れてしまったもの

もしも、これらの事情に忖度せず、ハロー!プロジェクトのファンクラブ会員である僕が至って個人的な意見を主張させていただくなら、僕はJuice=Juiceの高木紗友希をもっと観ていたかった

彼女には、アイドルでなくとも、今後シンガーとして活動していくための才能が充分に備わっているかもしれない。けれど、Juice=Juiceとしてステージに立つ紗友希は本当に楽しそうで、いつもきらきら輝いていたもの。
誰だって恋をしたっていいじゃないか。アイドルに恋人がいたっていいじゃないか。
近年の紗友希は、ステージパフォーマンスでの表現力や、人間的魅力にめきめきと磨きがかかっていた。それは、恋愛をはじめとする様々な人生経験を重ねてきたからに他ならないはず。
「僕は、こんなことのためにハロー!プロジェクトのファンクラブ会員になったんじゃない」そうアップフロントに訴えたいし、賛同してくれる人も多いでしょう。

しかし、こんな主張は、たかが一端のハロプロファンによる個人的な正義でしかない。
正義は、決して一つじゃない。人の数だけ、それぞれに信じる正義があります

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「個人の尊厳」の名の下に、アイドルに恋愛をさせてあげたいと思うも正義。
プライベートを投げ打ってアイドル活動に専念してほしいと願うファン心理も正義。
アイドル業界を繁栄させんとする事務所によるオタク商法も正義。
今まさに、様々な立場から様々な人が、各々の正義を掲げています。

たかが僕の数千文字の記事によって、事態が急速に変わることは毛頭期待していないし、これは長い時間をかけて議論されるべき問題です。
けれど、我々があらゆる正義を論じるとき、つい忘れがちになるものがあります。
それは「当事者本人の意志」に他なりません。

例えば、企業の重大なプロジェクトを担う女性社員が妊娠し、産休に入ることが決まったとします。
チームのメンバーは、プロジェクトをどう存続させるか、後任を誰にするかを早急に考えなければなりません。それこそが企業にとっての正義。
しかし、そんな正義感が優先されるあまり、当人の妊娠を祝う気持ち、産休に入る決心を称賛する気持ち、心の底から「おめでとう」と祝福する気持ちを、我々はつい忘れてしまうことがある。当事者本人にとっては、それこそが最も望ましい形であるはずなのに。

では、高木紗友希の意志とはどんなものだったのか。
ハロー!プロジェクトのベテランメンバーでありながら、グループ脱退の危険も顧みず恋愛に挑んだ姿勢を見れば、許されないとわかってはいても「アイドル活動と恋愛の両立」を望んでいたのだろうと容易に想像できます。

しかし、アイドルの恋愛は言うまでもなくタブー。両立するどころか、高木紗友希に対して優里との交際を祝福する声はほとんど見受けられませんでした
恋をしたアイドルは、「おめでとう」すら言われない。これこそ、我々がハロー!プロジェクトやジャパニーズアイドルの正義を守らんとするあまり、当事者本人の意志を度外視している何よりの証拠です。