大切な人が「陰謀論」にハマってしまったら、どうすればいいのか

塚越 健司 プロフィール

陰謀論の前に「エビデンス」は無意味

もともと意見の異なるグループ同士が議論を行うと、互いを攻撃しあうことで亀裂が深まり、両者の思想がより先鋭化する「集団分極化」と呼ばれる現象が以前から指摘されている。読者の多くが感じているように、ネットでの議論は難しい。その原因として、フェイクニュースやフィルターバブル(ユーザーの嗜好をもとに、各人に最適化された「見たいものだけ」の情報に囲まれてしまう状態)といったものが挙げられる。

こうした状況下において陰謀論は、「事実」への合意や、理性や科学への合意を困難なものとする動きに拍車をかける。すでに述べた通り、意見が対立した者たちは、互いが互いを陰謀論と批判し合う。ある問題に対して「〜というエビデンスがある」と述べたとしても、反論する方も「〜というエビデンスがある」と述べるのである。

〔PHOTO〕iStock

「エビデンス(証拠)」の内容も多種多様だ。大半の学会が認めている研究蓄積や、主要メディアによる検証済みの報道がある一方で、それらを別の角度から捉えたもの、あるいは最新ではない過去のデータを(意図的かどうかは別として)持ち出してエビデンスと捉える人もいる。

そして、これまでの社会に存在した「専門家の合意=常識」を既得権益による「陰謀」だと捉える人が増えれば、何をエビデンスとするかという根本的な社会的合意が不可能となり、知識の共通基盤に亀裂が走る。

筆者は「理性」や「科学的」な思考を重視するが、陰謀論者もまた、そのことを大きく否定することはない。むしろ、誰もが少なくとも心の中で「自分は理性的で合理的である」と信じており、そのエビデンスは上述したように多数存在している。それ故に、傍からみれば非合理的な行動をしている人も、当事者の視点に立てば、その意味で非常に「理性的」なのである

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