田中さんの旧姓使用をサポートしてくれる人物がひとりだけいた。それは、ある男性医師。彼は、田中さんにも医師と同じようにシステムに旧姓の登録ができないか総務や所属長に掛け合ってくれたのだが、残念なことに認められなかった。

「医師だけに例外が認められているのは、医師の名前が変わったら患者さんが分からないから、という理由です。でも、それなら電子カルテに名前が載ったり、患者さんとコミュニケーションをとったりするほかの医療従事者や看護師も同じです。これは職業差別なんじゃないかな、って」(田中さん)

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ストレスで「適応障害」に…

総務部の責任者はバカにしたような態度で、田中さんにこう言ったという。

あなたはもう本当は北村さんでしょ? 夫の姓に慣れるしかないよ、選択的夫婦別姓にならない限りは。変えたいなら、あなたが政治家になるしかないでしょ

職場の人に真剣にとりあってもらえず、業務上10年以上も使ってきた自分の名前を使用できない日々を送るうちに、体調がどんどん悪くなっていった田中さん。患者と話しているときだけは気が晴れたが、ちょっとしたことで涙が浮かんできたり、ふさぎ込んだり、明け方に目が覚めて眠れなくなったりした。そして、とうとう布団から出れなくなった田中さんは、1週間仕事を休んでメンタルクリニックを訪れた。

〔PHOTO〕iStock

診断の結果は、名前が変わったことによる“適応障害”だった。眠剤と抗うつ剤を処方された田中さんは、ついに退職する決断をした。

「仕事仲間や患者さんに対しては何の不満もありませんでしたが、旧姓使用に対する上司のパワハラとも言える対応と勤め先の職業差別とも思える扱いに、もう嫌気がさしたんです」(田中さん)

夫の北村さんも次のように振り返る。

「一昨年の11月に結婚して1カ月もたたないうちに、妻がどんどん暗くなり、ふさぎ込んでいく様子を目の当たりにして本当に辛かったです。僕もこんな職場なんて早く辞めてやろう、と思いました。でもそれよりも、婚姻届を僕の姓で出してしまったことが本当に申し訳なくて……。彼女の気持ちにもっと早く気付いてあげればよかったと後悔しています」

田中さんに続き、夫の北村さんも離職することに決め、2人は退職に至った。そして、結婚してから9か月後、昨年の8月に2人はペーパー離婚に踏み切り、以来、事実婚のかたちをとっている。