敢えて問う…そもそもスポーツの祭典はオリンピックでなければならないか?

もはや金儲け、国威発揚の祭典
大原 浩 プロフィール

「勝つこと」が至上命令

さらにテレビ(ネット)放映の普及は、オリンピックの政治的プロパガンダの場としての重要性をさらに増した。

何しろ、各国選手の活躍(または「不活躍」……)する姿を世界中の人々が見るのである。国威発揚・プロパガンダの場としてうってつけだ。

そうなると、自国選手が「勝つ」ことが国力を示し国威発揚に役立つということになる。

このようにオリンピックを「国威発揚の場」と考えている国々は、オリンピック選手に、引退後の素晴らしい職業や、報奨金、さらにはぜいたくな暮らしができる年金を保証する。

日本をはじめとする先進国の「概ね名誉のために戦っている」選手と比べるとかなり不公平だが、日本選手に金銭的見返りを与えよと言っているのではない。むしろ、原点に戻って、各国の金銭的報酬を廃止すべきである。

稼ぎたいのであれば、NBA,プロ野球、プロサッカー、プロゴルフなどいくらでもチャンスが転がっている。

しかし、さらに深刻なのは「ドーピング」や「不正審判」問題である。ドーピングの検査はかなり強化され、問題は減っているようにも見えるが、技術の発達によるいたちごっこが続くようにも思える。ドーピングは発覚しなければ問題にならない……

 

また、プロパガンダを推進する国々出身の審判の「自国選手の特別扱い」としか思えない行動を目撃したことがある読者も多いと思う。また、それらの国々が他国の審判を買収している疑惑も絶えない。

「近代オリンピック」は「古代オリンピック」の神聖さとはかけ離れた存在になってしまったように見える。

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