第2次大戦中の日本は、なぜもっと早く降伏しなかったのか?

ソ連のスパイに騙されたノイマン
高橋 昌一郎 プロフィール

兵士の多くは「餓死」で亡くなった

1977年、当時の厚生省が計算した太平洋戦争の犠牲者数は、310万人である。そのうち「軍人・軍属・准軍属」の戦没者は230万人、外地で戦没した日本人は30万人、内地での戦災犠牲者は50万人となっている。

陸軍省は「草や根を食べ、野原に寝ようとも、日本陸軍は、国体を護持する『聖戦』を戦い抜かねばならない。また、永遠の生命は死中に求めねばならない。断固とした戦いこそが、絶望的な状態から脱出する道を見いだすであろう」と兵士を洗脳した。食料や物資はすべて現地調達という作戦である。

 

その結果、230万人の戦没兵士のうち120万〜140万人が、栄養失調に起因するマラリアや赤痢などの病死を含めた広義の「餓死」で亡くなった。彼らは、野ネズミやヘビやコウモリまで食べるという悲惨な状況で亡くなったのである。

つまり、戦没兵士の60%以上は、補給をまったく考慮しない大本営の無謀な作戦によって殺害された。ナチス・ドイツはユダヤ人を「大量虐殺」したが、当時の日本の戦争犯罪者は、日本人を「大量虐殺」したのである。

しかも、戦没者の大多数は、戦争末期に集中している。もし日本がもっと早く降伏していれば、多くの「餓死」は防げたし、アメリカは原爆を投下できなかっただろう。

ラッセルが主張した「予防戦争」

改めて振り返ると、「マンハッタン計画」は、約3年間に総計22億ドルの経費で、ピーク時には12万人の科学者・技術者・労働者をつぎ込んで、原爆を完成させた。この計画に関わったノーベル賞受賞者だけで、21人にもなる。

責任者のレズリー・グローヴス少将は、ソ連が同じような計画で原爆を開発するには、15年から20年が必要だと考えていた。つまり彼は、1960年代までは、アメリカが優位に世界を攻略できるとみなしていたわけである。

ソ連は、第二次大戦で最も多くの犠牲者を出した。国家は疲弊し、とても新たな戦争に突入する余裕はないはずである。そこで生じたのが、アメリカだけが原爆を保有している間に、ソ連に「予防戦争」を仕掛けるべきだという強硬な意見だった。

一般に「予防戦争」とは、潜在敵国が将来、自国を侵略する機会を「予防」するために、機先を制して潜在敵国に戦争を仕掛けることを意味する。自国が戦力的・時期的に有利な間に、進んで先制攻撃すべきだという考え方である。

第二次大戦が終結したばかりの1945年10月、ソ連に対して「予防戦争」を実行すべきだと正式に表明したのは、驚くべきことに、後に「核廃絶」を主張するようになるイギリスの哲学者バートランド・ラッセルだった。

バートランド・ラッセル(photo by gettyimages)

ラッセルによれば、終戦後に設立された「国際連合」のような緩い機関では、とても将来の世界平和を保障できない。彼は、連合国が民主的な「世界政府」を樹立し、そこにソ連の加盟を要求するべきだと提案した。

共産党による一党独裁政権の頂点に立ち、恐怖政治でソ連を支配するヨシフ・スターリンが、そんな要求に応じるはずがない。そこで、その拒絶を「開戦の理由」にして「正当な戦争」に踏み込めばよいというのが、ラッセルの主張だった。

ラッセルは、1948年5月には、次のように述べている。

「ヨーロッパがソ連に侵略されると、被害は甚大であり、仮にその地を取り返したとしても、決して元の状態に戻すことはできないだろう。知識人は、北東シベリアか白海沿岸の強制収容所に送られ、過酷な環境で大多数は死亡し、生き残った人間がいても、もはや人間性を失った動物にすぎなくなるだろう(ポーランドの知識人がソ連に何をされたか、思い起こしてほしい)」

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