「うっせぇわ」は「私の話を聴いて」

友達関係だけじゃない。家族もそれぞれ、できること、苦手なことがある。
例えば、長男は彼の妹、つまり長女が洗面台に使用済みのデンタルフロスをパラパラとおきっぱなしにすることを注意していた。だが、一向に直らない。

ある日、長女が洗面台で「え~、かわいい。サンキュー」と兄に向ってお辞儀をしていた。

彼は妹用に、ビニール袋があらかじめセッティングされた「使用済みフロス入れ」をこしらえたのだ。フロスがたまったら、袋ごと捨てればよい。些細なことだが、ものぐさな妹を責めるよりも、解決方法を一緒に考えてあげればよい、という結論に至ったのだという。

「あいつ(妹)はフロスを捨てられない。だから捨てるところを作ってあげればいい。そんなふうにしてお互い補い合えばいいんだよ。できない人をめっちゃ責めるよりも

できないことを責め立てるより、補い合えばいい Photo by iStock
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そんなことを、『うっせぇわ』は求めているような気がしてならない。

社会じゃ当然のルール
不文律最低限のマナー

それらに対して「うっせぇ」と毒を吐く。そして「現代の代弁者は私やろがい」と未来を生きる権利を宣言する。
けれど、その辛辣な「うっせぇわ」は、実は「私の話を聴いてよ」という心の叫びではないか。日本社会のマウント体質へのレジスタンスであり、若者たちの鎮魂歌なのかもしれない。