軍の独裁者は鬼…在日ミャンマー人が訴えた「母国の軍政」への怒り

これは天安門事件のミニチュア版なのか
近藤 大介 プロフィール

日本とミャンマーの親密な関係

ミャンマーと日本との縁は深い。以下は前掲書からだが、第二次世界大戦勃発後の1940年には、反英組織「自由ブロック」のアウン・サン書記長(アウン・サン・スー・チー国家顧問の父親)が来日し、日本陸軍参謀本部の鈴木敬司大佐らと、イギリス植民地からの独立共闘について話し合っている。

1941年12月に太平洋戦争が始まると、翌月には東條英機首相が将来の独立を宣言。日本軍はビルマ進攻を始め、5月までに全土を制圧した。そしてバモオ博士を国家元首兼首相として「独立」がかなえられた。日本を始め、10ヵ国が独立を承認している。終戦まで日本軍はビルマに、32万人もの兵士を送り込んだ。終戦後、バモオ首相は一時、日本に亡命している。

1948年にビルマが正式にイギリスから独立してからも、すぐに「コメ外交」(食糧不足の日本にコメを輸出する外交)を始めた。1955年には日緬平和条約を発効させ、これは戦後日本が締結した最初の国家賠償となった。

その後、1988年に軍事クーデターが起こってからも、日本は、強烈な制裁を科した欧米諸国とは一線を画した柔軟な外交を展開した。端的に言えば、軍事政権と欧米諸国とのパイプ役を果たしてきた。

そうした成果が、2013年の安倍晋三政権下でのティラワ経済特区建設の調印につながった。ヤンゴン南郊の700haに及ぶ「日系企業工場群」ティラワ経済特区については、前々回のこのコラムでお伝えした通りだ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80061

現在、駐ミャンマー日本大使館の丸山市郎大使は、外務省きってのミャンマー専門家として知られる。大使館のホームページには、こんな挨拶文を寄せている。

〈 私は1978年に外務省に入省後、このミャンマー(当時のビルマ)で語学研修を行って以来、4回の在ビルマ/ミャンマー大使館在勤を含め、日・ミャンマー二国間関係に長く従事してきました。最近では2011年から去る2月末まで、次席として在ミャンマー大使館で約6年間在勤しました。

(中略)ここミャンマーは、現在世界でも最も注目を浴びている国の一つであり、日・ミャンマー両国は極めて緊密な関係を築いてきています。我が国は、ミャンマー国民の大多数の支持を得て誕生した現政権の成功こそが、ミャンマーの民主化と発展のために重要であり、そのため、官民挙げて全面的に支援していく考えです 〉

日本政府はこれほどミャンマーに深く関与している割に、今回の軍事クーデターに関しては、口が重かったのである。2月21日になって、日本外務省はようやく次のような報道官談話を発表した。

 

〈 日本政府は、ミャンマー治安当局によるデモ隊に対する発砲により、複数の民間人が死傷していることを強く非難します。また、犠牲者の御遺族に対し哀悼の意を表し、負傷者の方々に心からお見舞い申し上げます。

平和的に行われるデモ活動に対して銃を用いた実力行使がなされることは許されることではありません。日本政府は、ミャンマー治安当局に対して、民間人への暴力を直ちに停止するよう強く求めます。

また、日本政府は、アウン・サン・スー・チー国家最高顧問を含む関係者の解放、民主的な政治体制の早期回復を改めて国軍に対して強く求めます 〉

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