9万ドルの車に富裕層殺到!イーロン・マスクが自動車業界の脅威となった日

テスラモーターズという革命(2)
アシュリー・バンズ プロフィール

試作車は難なくできるとタカをくくっていた

当初の試作車製作プランは難なく実現できそうに見えた。ACプロパルジョンのtzeroのパワートレーンを入手して、ロータス・エリーゼの車体に取り付けるだけだったからだ。電気モーターの設計図面を入手したところ、トランスミッション(変速機)は米国か欧州のメーカーから、その他の部品はアジアでそれぞれ調達できることがわかった。第1号製品となる「ロードスター」についてテスラ経営陣は、2~3人のメカニックと数人の組み立て作業員で完結できる一種の改造作業のようなものだとタカをくくっていた。

 

試作車開発担当チームのメンバーはストラウベル、バーディチェフスキー、デイビッド・ライアンズの3人だ。ライアンズは超優秀な機械系エンジニアで社員番号は12。シリコンバレーで10年ほど働いていたが、数年前に偶然コンビニで電動自転車に乗っている人がいたので、何気なく立ち話をしたところ、それがストラウベルだった。

当時、ストラウベルがプロジェクトの資金繰りに苦労していると聞いたライアンズは、人体の深部体温を計測する装置のメーカーがコンサルタントを探していることを思い出し、さっそく彼を紹介した。窮地を救ってもらったストラウベルは恩返しをしたいと思い、このテスラのプロジェクトにライアンズを誘ったのだ。これが後にテスラにとって大きな意味を持つことになる。「ライアンズが課題解決の鍵を握っていた」(バーディチェフスキー)のだ。

工場では自動車用の昇降機を購入し、建物内に据え付けた。また、各種工作機械のほか、夜間作業用の投光照明も調達し、研究開発の拠点らしい雰囲気が整っていった。電気系エンジニアはロータスの基本ソフトについて勉強し、アクセルペダルやブレーキペダル、機械系装置、ダッシュボードのゲージ類との接続方法を研究した。

バッテリーパック設計では、きわめて最先端の研究がおこなわれていた。何百ものリチウムイオン電池を並列に接続することなど、いまだかつて誰も挑戦したことがなかったからだ。まず、70個のバッテリーを強力接着剤で束ねて大きな塊(ブリック)にした場合、発熱量と電流はどうなるのか確認した。続いて、このブリックを10個並べて配置し、さまざまな空冷、水冷の方式をテストした。実用可能なバッテリーパックが完成したところで、ロータス・エリーゼのシャーシを12センチほど広げ、本来エンジンがある車体後方部分にクレーンでバッテリーパックをゆっくりと配置した。

この作業が始まったのは2004年10月18日のことだ。そして3ヵ月後の2005年1月27日には、たった18人でまったく新しいクルマを完成させてしまったのである。

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