親子だって、別の人間。深く理解しあっていることもあれば、どうしても理解のできないこともあるかもしれない。しかもそれが義理の親の場合、「理解できない」比率は多くなるのも当然で、特に「義母」との問題には悩みの声が多く寄せられる。

義母の謎の行動に長く悩んでいたのが、フリーライターの上松容子さんだ。結婚前に夫の実家を訪ねた時、専業主婦の鏡のようにかいがいしく夫の世話をやく義母だったが、結婚式への不満や一緒に料理をするときの言動に戸惑うことが続いたという。孫である上松さんの娘が話しかけても無視したり、義父ががんとなって亡くなった時に驚くような言動を見せたり、実家売却のときに勝手に格安で売却してしまったり……義理の娘である上松さんは戸惑うばかりだった。とくに、上松さんの父ががんとわかり、一時期同居を提案した時の冷たいはねつけには心が凍り付いた。

連載「謎義母と私」、今回は、いざ同居がスタートしたときのことをお伝えする。なお、個人が特定されないように上松さん自身もペンネームであり、登場人物の名前は仮名としたドキュメンタリーである。

容子    20代後半で結婚。現在50代
夫     容子と同い年。営業職
明子    容子と夫の一人娘
義父       東京近郊在住 大正生まれ 中小企業社長
義母トミ子 昭和ヒト桁生まれ 元看護師 専業主婦
上松容子さん連載「謎義母と私」今までの記事はこちら
-AD-

荷物が収まらない! 想定外の引っ越し

義父が亡くなってから一人暮らしをしていた義母・トミ子は、2005年の1月に東京の新居へと引っ越してきた。

家を新築中、私の父が末期がんであることがわかり、残された日々を一緒に過ごそうと考えたが、義母はそれを「諦めろ」とにべもなかった。しかし、後日その態度に抗議すると、義母は自分の発言をすっかり忘れており、「私はそんなひどいことは言わない!」と逆ギレする始末。あらゆる決定事項を今さら覆すことはできなかったが、義母との新生活に不安が募った。

義母の荷物は、夫が行ったときに処分するものを決め、コンパクトな状態になって来るはずだった。ところが、息子が帰ってから考えが変わったらしく、処分するはずだった巨大和ダンスはじめ予想を上回る量の物品が荷降ろしされた。

義母のスペースは1階の1LDKと3畳弱のウォークインクローゼットとトイレ。風呂は共用だ。掃除で苦労しない程度の広さで、これには本人も納得していた。高齢者にはちょうどいい広さだと思っていたのだが、そこに床面積で言うと1畳分くらい、高さ180センチほどのタンスが入ったのである。その「圧」たるや物凄いものがあった。クローゼットがあるのに、それ以上何を収納しようというのだろうか。

義母自身は移動したことで疲れてしまい、衣類をタンスに入れていく程度のことしかできない。大きな片付けはほとんど私たちの仕事になった。

ダンボールには何も書かれていなかったので、開けるまで何が収められているかわからなかった。片端からテープを剥がし、中身を確認して収納先を決める。梱包は近くに住む叔母や叔父、そして義母が頼りにしている工務店のおじさんが総出でやったというが、叔父や叔母が詰め込んだものは箱ごとに分類されておらず、書類も衣類もごちゃまぜだった。驚いたのは、衣類の箱を開けて中身を取り出していったら、中ほどからバナナの房が出てきたことだった。上のほうだけ見て衣類だけだと思い込み、放置していたらどうなっていただろう……。

こうして1週間ほど整理整頓を続け、義母はようやくこの家に落ち着いた。

衣類の中にバナナの房が…早く開封してよかった… Photo by iStock