# 社会性の起原

道徳の源泉をめぐる二つの仮説

「社会性の起原」87
大澤 真幸 プロフィール

反応的攻撃性が弱まってきた進化の過程については、化石レベルで確認されている。家畜化には、骨格にも関係するようなさまざまな副産物的な変化が随伴しているので、化石によって、その動物がどの程度家畜化しているかが推定できるのだ。三〇万年くらい前からヒトの(自己)家畜化が進んでおり、反応的攻撃性は弱まってきたと推測することができる。つまり、ホモ・サピエンスが出現した頃から――あるいはその直前の頃から――、ヒトの自己家畜化は進行した。仮説が成り立つためには、これにわずかに先立つようなタイミングで、能動的攻撃性が強化されていなくてはならない。しかし、この点については、はっきりとした証拠があるわけではない。

 

原初の連合をめぐって

このように、「処刑」の仮説にはまだ弱点がある。しかし、これらのことは、この仮説を斥ける根拠にはならない。まだ検証されるに至ってはいない、というだけだ。

しかし、この仮説を構成している議論をよく検討してみれば、もっと重大な欠陥があることに気づく。検証/反証以前に、その内部の論理に問題があるのだ。どこに問題があるのか。「処刑」である。ストーリーの端緒には、処刑が置かれている。その処刑は、どのように実行されたのだろうか。

反応的攻撃性という点で、集団の他の個体たちよりも強い個体がいる。その個体は突出して暴力的で、少なくとも一対一で戦ったときには集団の中の誰よりも強いだろう。そのような個体を確実に処刑できるのはどうしてなのか。他のすべての、相対的にはおとなしい個体たちが連合するからである。集団の他のメンバーが(ほぼ)全員一致で、あの最も強く暴力的なヤツを殺してしまおう、ということに合意しなくてはならない。処刑というかたちで現象する人間の能動的攻撃性は、かならず連合に基づいている。この点が、「処刑」の仮説の主唱者ランガムが最も力を入れて主張している点である。この「連合による能動的攻撃性」がきわめて高い蓋然性で成り立たなければ、つまりほぼ百パーセントこれが実現するという状況でなければ、仮説の全体が瓦解する。

だが、このような連合、いわば弱者連合がほぼ必ず実現する、と当たり前のように仮定してよいものだろうか。確かに、おとなしく攻撃性に乏しい個体にとって、暴力的で偉そうにのさばっている強い個体がいない方がよい、という状況はかなり一般的であろう。たとえばチンパンジーの群れを考えてみる。チンパンジーのオスたちの間には、チンパンジー自身がはっきりと自覚している序列がある。低順位のオスにとっては、自分より高い順位のオスがいなくなれば、都合がよい。例えば交尾の機会が増える。しかし、だからといって、チンパンジーのオスたちは、徒党を組んで、(主として暴力によって頂点にいる)アルファ・オスを殺害する、などということはない。チンパンジーは確かに頻繁に闘う。ときにアルファ・オスと激しく争うこともある。しかし、それはアルファ・オスというポジションを排除するためではなく、自分自身が代わってあらたにアルファ・オスになるためである。

チンパンジーのオスにとってもアルファ・オスは目の上のタンコブのようなものだが、彼は処刑などされない。この点を考慮した上でのランガムの反論は、こうなるだろう。チンパンジーは、人間とは違って連合するのが苦手なのだ、と。人間は言語をもつ。だから話し合ったり、約束したりして、確実な連合を形成できる。しかし言葉を話せないチンパンジーはそれができない。ランガムはこう反論するはずだ。

しかし、この反論にはそれほど説得力はない。チンパンジーは、戦略的に連合を組むのがたいへん得意だからだ。チンパンジーが、この点でいかにたくみに振る舞い、連合するかは大型類人猿の観察者によって詳しく報告されている*11

だが、この点は百歩譲ろう。チンパンジーと違って、言葉を話す人間は、多人数の連合、裏切り者が出ない確実な連合を結ぶことができる。この点を認めよう。だが、そうだとして、「あの横暴なヤツを殺してしまおう」という全員一致の合意に、常に確実に、そして速やかに達するだろうか。部族の男たちが、処刑の対象として予定されている男には見つからないように密かに集まり、謀議する。ヤツを殺そうということについてすぐに合意に達し、処刑を決行するそのときまで、一人も裏切らない。……こんな展開が至るところで生じていた。あるいは、そうやっていじめっ子を処刑しなかった集団は、たいてい長続きはせず、滅亡した……このようなことを自明に成り立つこととして仮定してよいのか。

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