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# 社会性の起原

道徳の源泉をめぐる二つの仮説

「社会性の起原」87

「人間とは何か」。社会学者の大澤真幸氏がこの巨大な問いと格闘してきた連載『社会性の起原』。講談社のPR誌『本』に掲載されていましたが、85回からは場所を現代ビジネスに移し、さらに考察を重ねています。87回となる今回は前回に引き続き「道徳」について分析を進めます(これまでの連載はこちらからご覧になれます)。

道徳の定義――二つの条件

ここまで「道徳」という語を明示的に定義することなく使ってきた。前回の議論の中でなかば暗黙のうちに含意されていたことを抽出するかたちで、ここで道徳を定義しておこう。

道徳は、二つの条件を満たす行動の様式である。第一に、それは、他者――厳密には同種の他個体――とのポジティヴな共存を指向している。それは、最低でも平和的な共存を、可能であればそれ以上のこと――共同の繁栄や成功――を目指している。したがって道徳的な行動は、――ときには自己の利益に反してでも――他者に利益をもたらす行動である。このような意味で道徳的な行動を動機づける感情は、同情、共感、配慮、慈悲といったものである。要するに、道徳的であることのひとつの要件は、利他性である。

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ただし、利他性は無限である必要はない。他者(たち)を攻撃し、他者の利益を損なう行動が、道徳的な行動に含まれることもある。他者への攻撃が、別の他者との共存や繁栄のために必要なものであった場合には、その行動もまた道徳的なものでありうる。

いずれにせよ、他者の利益や幸福への配慮は、道徳性の不可欠の条件である。それゆえ、共感や同情は、道徳にとって基礎的な感情だ。こうしたものの進化的な基礎については、推測は難しくはない。血縁選択の理論から考えれば、動物の個体が、自分と同じ遺伝子を(一定の割合で)共有する別の個体を配慮するのは、当然である。最も単純なケースでは、親は子の世話をする。とりわけ哺乳類の場合には、母親は授乳によって子に栄養を補給する(授乳の行動は、「愛情ホルモン」などと呼ばれることもあるオキシトシンによって統制されている)。哺乳類の場合にはさらに、親は、捕食者をはじめ多くの危険から子を守ろうとする。道徳のひとつの条件である同情的な配慮は、個体が血縁的に近い他個体に差し向ける配慮、とりわけ親の子への配慮に、進化的な起原があると考えてまちがいあるまい。

しかし、親が子に授乳すること、親鳥が雛鳥に給餌すること、親が子を捕食者から守ろうと自己犠牲的にふるまうこと、これらのことはそれ自体としてはまだ道徳的行動と見なすことはできない。道徳的であるためには、もうひとつ条件が必要だ。その第二の条件とは、規範性である。

規範性とは、行為がなすべきこととして――当為性を帯びて――実行されるということである。言い換えれば、道徳は、行為そのものの現実化に先立ってその行為のあるべき状態をあらかじめ指定していたと――行為する当事者には――解釈される。なすべきことを行った、と私が思うのは、(この状況において)何をなすべきかが、はじめから決まっている(と私が想定できる)場合に限られる。もちろん、実際には、人はしばしば、何が道徳的なことなのかわからず、迷いながら行動している。だが、このとき行為者は厳密に何に迷っているのか。「この状況において何がなすべきこととして指定されているのか」に迷っているのだ。つまり、「何をなすべきか」が――少なくとも論理的には――決まっているという想定がなければ、人は迷うことはない。ただ自然の性向dispositionにしたがって行動してよいのであれば、規範性は存在しない。「私はこれをいま食べたいのだが、食べてもよいのか」という問いが成り立つとき、規範が存在している。

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