ミャンマーの混乱が止まらない。2月1日に発生した軍事クーデターに反発した若者たちのデモが、大きなうねりになっている。ミャンマーはASEAN(東南アジア諸国連合)で「タイの弟分」と呼ばれているが、まさに2014年にタイで起こった現象を繰り返している。
今後は、タイとミャンマーの若者たちが連携していくだろう。治安部隊側も、14日には最大都市ヤンゴンの目抜き通りに装甲車を配備するなど、一触即発の事態が続いている――。
私は今回のミャンマーの政変を、もう少し広い視点で捉えている。それは、「ASEANの中国化」という問題である。
ASEANはもともと、「アメリカ化」のために作られた。なぜなら、アメリカが作ったからである。
1967年8月、ベトナム戦争に参戦していたアメリカは、ソ連と中国の共産圏がこれ以上、南下するのを恐れて、タイ、フィリピン、マラヤ連邦(マレーシア)、インドネシア、シンガポールの5ヵ国の代表者をバンコクに集めて、「ASEAN設立宣言」(バンコク宣言)を発表した。これがASEANの原型だ。
宣言の第2条の第2項では、次のように謳っている。
〈 域内諸国の関係においては、正義と法の支配を尊重し、国連憲章の諸原則を支持し、域内の平和と安定を促進する 〉
その後、1984年にブルネイが加盟。1995年7月に、ベトナム戦争終結20周年を記念して、アメリカがベトナムと国交正常化を果たし、ベトナムの加盟を認めた。
社会主義国が加わったことでASEANの色合いが変化し、同じく社会主義国のラオスと、軍事政権下のミャンマーが、1997年に加盟した。最後に1999年、経済復興中のカンボジアが加わって、現在の10カ国体制が築かれ、21世紀を迎えた。
ASEANの会議を取材していて思うのは、何と言っても独特の「気の長さ」である。欧米の会議のようにロジカルでないし、中国の会議のように教条的でもない。どんな揉め事が起きても、ASEANが求めるのは「当事者が同じテーブルに着くこと」までだ。
全会一致を原則としているため、「会議が踊る」のは日常茶飯事。それでも、同じテーブルに着いて話し合っているうちに、いつかは解決するでしょうというわけだ。
思えば、すべての加盟国が「自由民主のキリスト教国」という共通項を持つEUに対して、ASEAN10ヵ国は、互いに近隣の国々という以外に、共通項がない。人口、面積、言語、政治形態、経済状況、宗教などが、「十国十色」なのだ。だから「気長に」物事を進めていくしかない。