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アフター・コロナの冷酷で厄介な「優生思想」は苛立ちと嫌悪感に宿る

DIG 現代新書クラシックス(3)
群像×現代新書のコラボ企画「DIG 現代新書クラシックス」の第3弾(『群像』3月号掲載)は、二松学舎大学准教授の荒井裕樹氏が『優生学と人間社会』(2000年刊)を論じます。
命に優劣をつける優生思想は、この20年でどのような変遷を辿り、どこに向かっているのか? アフター・コロナの時代に私たちが直面する新しい「優生思想」に迫ります。
 

「事件」と「疫病」後の世界

2010年代の後半から――特に相模原障害者施設殺傷事件が起きて以降――、各種メディアで「優生思想」という言葉を目にしたり、解説を依頼されたりする機会が増えた。

個人的には、ある種の「古めかしさ」すら感じていたこの言葉が再び注目されていることに驚きを禁じ得ない。もしや、アフター・コロナは「優生思想」が荒々しく吹き乱れる時代になるのではないか。決して大げさではなく、そんな危機感を抱いている。

「優生思想」はどこから来たのか

「優生思想」とは、言うまでもなく「優生学」から派生した言葉だが、少し極端な表現をすれば「約半世紀前の社会運動の余熱を帯びた用語」だとも言える。

eugenics=優生学(photo by iStock)

この言葉は単に「病者・障害者を否定する価値観」それ自体を指すのではなく、そうした価値観が「許しがたい差別」であると提起するためのものであった

19世紀に登場した「優生学」が、曲がりなりにも「科学」(という体裁をとったイデオロギーめいたもの)であり、明確な起源や定義を持つのに対し、「優生思想」は語源や内実を特定するのが難しい。

強いて言えば、この言葉は「優生学に似た思想」や「優生学によって喚起された人間を序列化する価値観」といったニュアンスで使われることが多いようだ(注1)

ただし、「優生学」が「人種」や「社会的逸脱」(犯罪やアルコール依存等)も「淘汰」の射程に含んでいたのに対し、「優生思想」は主として病者・障害者に焦点を絞ったかたちで使われてきた

この背景には、1970~80年代に興隆した障害者解放運動が存在している。

当時、「障害者差別糾弾」を掲げた急進的な当事者団体が社会に衝撃を与えた。中でも有名なのが「日本脳性マヒ者協会青い芝の会」である。同会は差別糾弾闘争の現場で、盛んに「優生思想」という言葉を叫んだ。

「青い芝の会」の登場以前、「障害者が産まれてくるのは可哀想」「障害をもったまま生きるのは不幸」といった価値観が「差別」と認識されることはなく、むしろ障害者に対する同情や憐れみは人道的な感情とさえ認識されていた。

同会は、こうした価値観が「健全者」による欺瞞であると喝破した。特に「出生前診断」や「安楽死」などについて、「生命の選別」に繋がり得る行為だと強く批判した。

その際、彼らはしばしばナチス・ドイツが犯した障害者虐殺(例えば「T4作戦」)を引き合いに出し、この社会にはナチスと変わらぬ「障害者抹殺の思想」つまり「優生思想」が根強く存在していると指摘した。

現在使われている「優生思想」という言葉の輪郭は、この時の反差別闘争によって作られたといっても過言ではないだろう。

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