現在、特別養子縁組に向けて待機している嶺かおるさんが、遠距離恋愛の末、12歳年上のパートナーと「事実婚」をしたのは34歳のこと。そして不妊治療をはじめ、一時休止を経て、治療開始から2年後の36歳で不妊治療を終了した。お金と時間と労力とをかけてまで、なぜ自分たちは子どもを欲するのか…。

自問自答を繰り返す、嶺さんの思いの丈を綴るこの連載。前回は、不妊治療終了後、養子縁組に向けて動き出し、児童相談所などにも足を運んだ時期について振り返った。今回は、その後も養子縁組の実現のため、民間のあっせん団体を探し続けたこと。そして、自問自答しつづけた「なぜ子どもが欲しいのか」という思いを綴っていただいた。

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特別養子縁組までの険しすぎる道

管轄の児童相談所を通じての特別養子縁組は難しそうだと判断した後、私たちは民間のあっせん団体を探し続けた。ただ、沖縄県在住ということで地理的に説明会に参加しづらかったり、そもそも説明会の空席情報を見つけることができずに時間が過ぎていった。

そんなある時、何のキーワードだったか忘れてしまったが、いつものようにスマホで検索していたら少し前の記事がヒットした。それは沖縄県内初となる民間の特別養子縁組のあっせん団体が設立記念講演会を実施した、というものだった。

翌日、記事に記載されていた問い合わせ先の番号にさっそく電話をかけてみた。すると、まだ具体的なあっせん活動は準備段階なので、2カ月後くらいに再度電話をするよう言われた。確かにそもそもその問い合わせ番号は携帯番号だった。

そして指定された2カ月後に同じ番号にかけてみたが、繋がらない。前回はあった折り返しもない。ネット検索をかけても新しい情報はまったく上がってこない「この団体は立ち上がる前に潰れたのか……」と正直思った。

一気に近づいたと思った特別養子縁組は、また私たちから遠ざかったように思えた。自分が望んでいることとはいえ、仕事をしながらの毎日の中で、特別養子縁組に対するモチベーションを保つことは簡単ではなかったというのが正直なところだ。

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特別養子縁組という方向性を決めれば、ぱぱっと団体が見つかって、実現までとんとん拍子に話が進むと思っていた私はつまずいた。その一方で仕事がわかりやすく目の前に山積みになっていて、特別養子縁組のことはついつい後回しになっていた。

忙しく仕事をしていると時間が経つのはあっという間だ。気づけば1カ月、2カ月と時間は経っていく。そう過ごすうちにふと、養親の条件の1つである年齢制限がどんどん迫っていることを思い出して焦る、といった繰り返しだった。