――『母影』を発表するまで、どんな気持ちで小説を書いてきたのでしょうか。
2016年に半自伝的小説『祐介』(文藝春秋)を発表したとき、とても悔しい思いをしました。どうにか小説を書きあげても、タレント本コーナーやレコード店にしか置かれない。小説としてちゃんと読んでもらえず、力の無さを痛感しました。
いったいどうすれば、自分の作品を小説として読んでもらえるのか。そこで目標にしたのが、文芸誌に載るような小説を書くことでした。
毎月発売される文芸誌を隅から隅まで読んで、ここに書いている方々がどんな苦労をしているのかを想像しました。雑誌の側から「新作を書きませんか」と話を頂くこともありました。でも、なかなか形にはできなかった。
ようやく重い腰をあげたのは、コロナが始まったころでした。コロナ禍でライブが出来なくなり、音楽活動も休止状態になった。とはいえ「コロナ禍だから」といって新曲を書くのはなんだか違う。ライブが出来ない時間を埋めるように曲を書くのは、それこそ曲が「感染」するような気がしたんです。
そこで、ずっと考え続けてきた小説に挑戦しようと決意しました。スマホのメモに書き溜めて、20枚分溜まったらポメラに清書していく。その繰り返しの日々でした。
その結果が認められ、芥川賞にノミネートされたときはすごく嬉しかったのですが……、実は落ち込む気持ちもありました。