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元ゼミ生が語る、立花隆の「伝説の東大講義」をいま読み直す意味

不安定な時代の知の羅針盤
今月17日の刊行を控える立花隆『サピエンスの未来 伝説の東大講義』。ここでは、フリーライターにして元立花ゼミ生でもある緑慎也氏による本書解説を、講義前後の立花氏とのエピソードを盛り込んだ「増補版」でお送りします。

1996年夏、むせかえる講堂

本書は、東京大学教養学部で1996年の夏学期に行われた「人間の現在」を元にした講義録である。

初回の講義の光景は、いまも目に焼き付いている。350の座席の他、階段部分、壇上の前など地べたにそのまま座る学生もいた。500人はいただろう。人いきれでむせかえるとはまさにこのことかと思った。

ある程度の混雑を予想した私は小賢しくも、あまり興味のなかったその直前の講義に出て、階段教室の真ん中あたりの座席を確保していた。

 

講師は上手のドアから教室に入ると、人混みをかき分けて演壇の前まで進み、大型のキャリーバッグから次々と本を演壇に積み上げた。講義に参加する学生数は、その後、回を重ねるにつれて少しずつ減ったが、大量の本を取り出す姿は、ずっと変わらなかった。

当時、キャリーバッグをガラガラ鳴らせて都内を闊歩する人は珍しかったはずだ。爆買いの旅行者があちこちに現れるのはもっと後である。

講師は「この本を知っているか」「この思想家を知っているか」と授業中に学生にしばしば訊ね、手を挙げさせた。挙手するものがいないと「これくらい知っておかないと恥をかくよ」と露骨に刺激したものだ。

東京大学駒場キャンパス

後から聞けば、元々若者を嫌っていたらしい。学生に嫌われないようにといった気遣いは最初からなかったわけだ。

講義も、学生の顔色をうかがわず、講師の話したいことを好きなだけ話すというスタイルで進められた。

毎週木曜日の午後4時20分に開始して規定の5時50分で終わることはまずなく、7時、8時まで講義は続けられた。9時を回って守衛に教室を追い出されたことも何度かあった。

学生に挑発的で、定刻も無視する。それでも80人程度の学生が夏学期の終わりまで残ったのは、やはり講義が面白かったからだろう。

立花隆東大講義「人間の現在」

講義「人間の現在」の内容を予告するシラバス(課程科目紹介)には次のように記されている。

「人間はどこからきて、どこに行こうとしているのか。マクロに見た人類史の総括。自然の中の人間の位置づけ。エコロジーとエコノミー。ポリス的動物としての人間の歴史。人類社会の破綻要因の諸相。終末論の可能性とブレークスルーの可能性。テクノロジーの限界。現代知識社会の変貌と危機。パラダイムの転換。自然はどこまで経営可能か。生き方の問題。倫理学の再構築。大学は何を学ぶところか」

大風呂敷を広げたものである。しかし当時、こんな壮大な内容を掲げてもおかしくない、そして実際に語ってくれそうだと期待させる人物は、少なくとも私には、あの講師以外に想像できなかった

絶大な権勢を誇った首相の金脈を暴いた『田中角栄研究』、宇宙飛行士の内面の変化に迫った『宇宙からの帰還』、ヒトと動物の境界を霊長類学者との対話から浮かび上がらせた『サル学の現在』、死の定義を問い直して臓器移植論議に一石を投じた『脳死』、日本人初のノーベル生理学・医学賞を単独受賞した利根川進との20時間に及ぶ対話を通じて分子生物学の勃興から絶頂期までを描いた『精神と物質』などの著作を世に送り出した、立花隆の他には

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