末期がんとわかった父の看護を否定されて…

家を建て始めた7月、ショッキングなことがわかった。私の父が余命僅かだとわかったのだ。
書籍編集者だった父は、定年後もフリーで本を作り続けていた。その年も7冊の企画を抱えて、打ち合わせなどに飛び回っていた。それが急に全身の倦怠感を訴え、かかりつけ医に診てもらったところ、精密検査が必要ということになり、地元で一番大きな病院に検査入院した。当時母の調子があまりよくなかったので、検査結果を一緒に聞いてくれと、私が呼び出された。

肝炎かなにかだろうと予想していたのに、結果は肝臓の悪性腫瘍。末期だという。冗談じゃない。だるいと言いながらもバリバリ働いているではないか。呆然とする私たちに、医師は告げた。「今月いっぱい保つかどうかわかりません」。手術もできない状態なので、家で自由に過ごしてください、と家に帰された。父は当惑していたが、それからも著者や版元と電話で打ち合わせを続けた。

今月いっぱい保つかどうかと言われたが、もちろんそんなことは信じられなかった。だから、家ができたら父を呼び寄せ、世話をしようと思った。ギュウギュウ詰めでも、最後の時をいっしょに過ごせたら後悔なく見送れるのではないか、そしてそのうち奇跡が起きて完治するのではないかと考えたのだ。

念のため、義母にはその旨を伝えたが、帰ってきた言葉に、冷水を浴びせられたように感じた。

「私は狭くなるのは嫌なんだよね。だから容子さん、お父さんのことは諦めてよ」

義母の部屋を使わせて、とは言っていない。二世帯の2階、つまり私たちのスペースで世話をする、と言ったのだ。
父はその後、医師が予告したとおり、7月末にこの世を去った。がんの告知から12日めのことだった。父には呼び寄せることは伝えずにいたので、がっかりさせずに済んだが、あのときの義母の言葉は、私の心に棘のように突き刺さり、思い出すたびにうずくのである。

父ががんになったショックと悲しみ。それに加えて義母からの冷たい言葉が、上松さんの心に突き刺さった Photo by iStock

【次回は2月23日公開予定です】