親子だって、別の人間。深く理解しあっていることもあれば、どうしても理解のできないこともあるかもしれない。しかもそれが義理の親の場合、「理解できない」比率は多くなるのも当然で、特に「義母」との問題には悩みの声が多く寄せられる。

義母の謎の行動に長く悩んでいたのが、フリーライターの上松容子さんだ。結婚前に夫の実家を訪ねた時、専業主婦の鏡のようにかいがいしく夫の世話をやく義母だったが、結婚式への不満や一緒に料理をするときの言動に戸惑うことが続いたという。孫である上松さんの娘が話しかけても無視することもあった。さらに、義父ががんとなって亡くなった時の冷たさを目の当たりにし、「おかしい」という思いを決定的なものとした。

連載「謎義母と私」、今回は義父が他界したのち、夫の実家を売却し、同居することを決めたときの驚愕のエピソードをお届けする。なお、個人が特定されないように上松さん自身もペンネームであり、登場人物の名前は仮名としたドキュメンタリーである。

容子    20代後半で結婚。現在50代
夫     容子と同い年。営業職
明子    容子と夫の一人娘
義父       東京近郊在住 大正生まれ 中小企業社長
義母トミ子 昭和ヒト桁生まれ 元看護師 専業主婦

迷った挙げ句、同居を決意

義父が下咽頭がんで亡くなってから3年ほどのあいだ義母はしばらく一人暮らしをしていた。彼女なりに好きなように暮らせるのだから、それでもいいような気がしていたが、もともと気働きするほうではないから、悪い人に騙されることもあるかもしれない。いずれ介護が必要になることも予想できる。体が動かなくなったり、判断力がなくなってからでは、対処が面倒だ。それに、大人の人数がひとり増えれば、娘にとってもメリットがある。そこで、早いうちから東京に呼んだほうがよいかもしれない、ということになった。

長い時間連絡が取れず、家族が心配することも繰り返されていた。同居することが一番安心だったのだ Photo by iStock

夫の実家は、義母がひたすら掃除に明け暮れていたので、こざっぱりと綺麗に整っていた。義父が生きている間に、壁紙も全部取り替え、外壁に耐震用の柱まで取り付けてあった。東京からかなり離れた不便な場所だったが、そこそこの値段で売れるだろうと誰もが言った。
私たちは不動産業界には不案内だったので、都内の不動産屋を、家の売却経験のある知人に紹介してもらった。ただ、業者1軒だけでは不安である。自分たちでも1軒当たってみた。
義母自身も、いくら位でどのように売るか、まったくわかっていなかった。売却については、息子に全面的に任せるということで話がまとまった。

知人から紹介された不動産業者Aは、ターミナル駅付近の繁華街から少し離れた場所に店を構えていた。個人の小さい店舗である。義母と私たち夫婦が訪ねると、奥から小柄なおじいさんが現れた。社長は終始笑顔で、義母の顔を見ながら物腰柔らかく話しかけていたので、義母はすっかり安心した様子で聞いていた。温和な笑顔の大人しそうな外見だ。物件の要件を伝えて、内見の予定を決め、その日はおしまい。

もう1軒は大手の不動産業者Bで、私たちの生活圏にあった。そちらにも同じように状況を伝え、実家に行く日を決めてもらった。

義母に関してはそれまでの経験で、約束していても自分の気分や都合でいなくなってしまうことがあった。わざわざ遠くまで来てもらって、いなかった、では済まされない。業者訪問の日程を伝え、絶対にいなくならないよう釘を差した。