親に捨てられた「戸籍のない男」

見て見ぬふりをする。何も聞こえていないふりをする。厄介だと思う人や出来事、自分にとって都合の悪いことは、なるべく遠ざけて生きようとする――。社交上手で器用な人ほど、巧みにそれをやってのけるし、現代社会ではそれこそが、一種のサバイバル能力であるようにも思える。

映画やドラマ、舞台などでは、「こんな人、身近にいたら困るな」と思うような厄介者、トラブルメーカーがたびたび登場するが、いつしかその人物の魅力にぐいぐい引き込まれてしまうのも、芝居や物語の面白さの一つ。映画『すばらしき世界』で役所さんが演じた三上もまた、世間的に見れば紛れもない厄介者だが、どうしようもなく魅力的なキャラクターだ。

原案となったのは、直木賞作家・佐木隆三さんのノンフィクション小説『身分帳』。殺人の罪を償い、刑期を終えた一人の「戸籍のない男」が、どのようにして市井の人たちと交流しながら更生していくか。「身分帳」と呼ばれる刑務所内の個人記録を作家が構成する形で、元服役者が人生をやりなおしていく過程を丹念に綴ったノンフィクションだ。これまで一貫してオリジナル脚本での映画づくりにこだわってきた西川美和監督が、長編映画としては初の“原作もの”に挑んでいる。

三上が刑務所から出所するところから物語は始まる (c)佐木隆三2021「すばらしき世界」製作委員会
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「三上は、小さい頃に親に捨てられ、お袋の名前も知らないような“戸籍のない男”です。原案となった小説も読みましたが、彼がなぜ孤児院を出て、10代前半ぐらいからヤクザの世界に入っていったのか。その理由はわからなかった。ただ、僕が思うのは、三上にとってはそこが一番、自分らしさを発揮できた場所だったのかもしれない、ということです。暴力的な男、という意味での自分らしさではないですよ。もちろん、ケンカも強かったようですが、少なくとも理由なく暴力を振るったりはしなかった。それよりも彼は、何よりも恩を大切に生きてきた人間なんじゃないかと。ヤクザの世界は、恩を受けた人には命懸けでお返しをするみたいなところがありますから。そういうところに、何か生きがいを感じたんじゃないでしょうか」 

役所広司さんはこう語りながらも、小説を読んだ時点で、役所さんは三上のモデルとなった人物にまったく共感できなかったという。

「小説としては素晴らしい。しかし、小説の体裁をとっているとはいえノンフィクションですからね。淡々と、実直に取材した事実が書き連ねられていて、特にドラマチックな展開が待っているわけではない。モデルになった男は意外と賢かったり、器用だったり、IQが高かったり。自己顕示欲が強いのか『自分の物語を映画化するなら、高倉健に演じてもらいたい』みたいなことも言ってるんです。そういうところが、どうしても好きになれなかった(笑)」

撮影/森清