がん治療の後だから普通に仕事をしたかった

がん治療の経験を持つ人たちは、思っている以上に多くいる。確実にいるのだけれど、二人に一人ががんになる時代においても「がんの治療後、普通に暮らす」ことのイメージは、まだまだ社会で一般化していないように感じる場面が多くあった。

航空会社は客室乗務員志望者に対して「航空機乗務に際し必要な体力を有し、呼吸器、循環器、耳鼻咽喉、眼球、腰椎等に支障がないこと」という基準を設け、採用に際して一般的な身体検査より調べる項目の多い「航空身体測定」を実施している。検査にパスして乗務ができることは「健康」の証明そのものになるのでは? がんを経験した人間が、客室乗務員になれたら、がんのイメージも少しはアップデートされるのでは? 安易にそう考えた。

それなれば、来歴を黙って入社するのは意味がない。エントリーシートからつまびらかに「体力と健康が求められる乗務員の仕事に従事することで、がん罹患後の人生にも多くの選択肢があることを証明したい」と大口叩いたわたしに面接の連絡が来た時は、自分で応募しておいて驚きのあまり膝から崩れた。社会は思っている以上に可能性があふれていた。

2ヶ月の訓練を経て、初々しさからは程遠い37歳が「訓練生」のバッジを胸につけてOJTフライトを飛んだ時、ふとこんな風にも感じた。行動を起こす時、起きてもいないことをあれやこれやと考えるより、浅はかくらいがちょうどいいのでは? 「行動」は、占いよりもパワーストーンよりも、圧倒的に道と運を開くのかも。そんな風に考えながら機窓から見える東シナ海は美しく、わたしは強烈な飛行機酔いと戦っていた。

客室乗務員時代。写真提供/松さや香

不安を感じるのは準備不足だから

空を飛んだり、お客さんにキレられたりしていたら、出会った直後に「結婚しよう」と言う人がやって来た。あー、ヤバいヤツ来ちゃったなぁと思い、結婚することにした。結婚相手は数字を言語のように操る理系の大家で、サブカルチャーに肩まで浸かって生きてきたわたしは彼の話していることの八割がた理解ができず、そこが飛び抜けて面白かった。

感覚と情動だけで物事を判断するわたしに対して、エビデンスとロジックを論拠に「心配事や不安に思う80%の想像は、実際には起こらない」「不安を感じるのは準備不足だから。準備でほぼ改善できる」「思考力は才能ではなく反復で育つ。今からでも身につく」と淡々と話す夫。聞いたことのないライフハック(?)に戸惑いながらも、知識を持つことは生きやすさに繋がることを改めて彼から学んだ。結婚するということは好意も敬意も大切ながら、「経験」と「時間」というお互いの資産を相手とシェアするということなのだなと感じた。