「ライオンの餌」というブログ開設、松島トモ子の人生は想像以上に動物と縁深かった…!

岡野 誠 プロフィール

周りには常に動物がいた

1953年にNHKと日本テレビが開局し、その2年後にはTBSが誕生。1958年には、映画館の入場者数が年間11億人とピークに達した。

松島は子役として日テレの獅子文六アワー『悦ちゃん』で主演を務め、映画『月光仮面』や『快傑黒頭巾』シリーズなどに出演。歌手としても映画主題歌や『おもちゃのチャチャチャ』など誰もが知る曲を吹き込み、月刊誌『少女』の表紙を10年間も飾り続けた。平成初期の安達祐実、平成後期の芦田愛菜のような超売れっ子の子役だったのだ。

幼くして“スタア”の称号を得た松島は、その代償としてありふれた日常を奪われた。家、学校、仕事場を行き来するだけで、友達と遊ぶ時間はない。修学旅行や遠足などの学校行事も「人だかりができるから」と参加させてもらえなかった。そんな彼女の楽しみは、動物と戯れることだった。

「当時、庭の広い家に住んでいて、メリーゴーランドのような大きく丸い鳥籠に孔雀鳩など数百羽を飼っていました。朝、お手伝いさんが鳥籠のカーテンを開けると、一斉に鳥たちがお目覚め。私が鳥かごに入ると、いろんな鳥が私の肩に止まったり、手に乗ったりして、いつも一緒に遊んでいました。犬や猫、熱帯魚も飼っていたし、周りには常に動物がいましたね。一人っ子だからかしら」

 

上野動物園の国民的な人気者とも懇意になった。1951年にアメリカから来園した雌のチンパンジーであるスージーは、野外劇場で一輪車や綱渡りを披露し、園長から10円をもらうと売店でお菓子を買うなど芸達者な動物として知られた。1956年には、訪問した昭和天皇と握手を交わしたほどだ。

「まだ6歳の私とちょうど背丈が同じくらいで、一目見て『ああ、かわいい』と言ったらしいんですね。スージーは、その言葉をえらくお気に召してくれたようです。開演中に行くと人が集まってしまうので、閉園後に飼育係の方がこっそりと対面させてくれました。2人でお絵描きなどをして、姉妹のように一緒に遊んでいました。大きくなって、動物園で人前に出せなくなっても、飼育係の人が『スージーはトモ子ちゃんを一番好きだから』と特別に会わせてもらっていました」

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