超エリート官僚による「家族殺人」、多くの人が“被告に同情”するワケ

「家族の責任としての殺人」は許されるか
阿部 恭子 プロフィール

誰も死なずに済む社会へ

熊沢被告と妻もまた、長期的に家庭内暴力に悩まされながらも相談窓口に繋がることはしていなかった。この点、相談すべきであったことは間違いないが、相談しやすい環境が社会に整っていたかといえばそうとは言えない。

熊沢被告は「社会的弱者」ではないが、家庭内暴力の被害に遭い、援助が必要な状況にあった。社会的にはマジョリティであっても、精神的、社会的に追いつめられている人々は存在するが、こうした人々が安心して気持ちを打ち明けられるような場所は少ないと考える。

〔PHOTO〕iStock

日本は、子どもがいくつであろうと親が謝罪をしなければならない社会であり、親の社会的地位が高ければ高いほど厳しい批判に晒され、背負わされるものは大きい。そうした親としてのプレッシャーが子どもたちの命を奪っている。

筆者は、被告の情状の余地は大きいと考える一方、親の責任として問題行動のある子どもを殺すことが許容されるような世間の風潮には異議を唱えたい。追詰められている親に殺すことで責任を取らせる社会ではなく、逃げ道を用意できる社会でなければならない。

 

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