3月1日の核実験で発生したキノコ雲

第五福竜丸の被曝、現在も島に戻れない住民…ビキニ環礁の水爆実験から今日で67年

サイエンス365days

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

3度目の核爆弾による悲劇

1954年の今日(3月1日)、ビキニ環礁で行われたアメリカ軍の水爆実験に巻き込まれ、第五福竜丸をはじめとする数百隻の漁船乗組員が被曝しました。

ビキニ環礁は日本から南東に約3700km離れた、太平洋上に浮かぶマーシャル諸島の一部です。1946年から1956年までアメリカの核実験場として利用され、23回もの核実験が行われました。

1954年に実施された水素爆弾の実験(キャッスル作戦)において、米軍は当初、水素爆弾の威力を最大で8メガトン(TNT爆薬800万トン分)と見積もり、これに応じて立ち入り禁止区域を設定しました。ところが実際の威力が15メガトンにも及んだため区域外で操業していた第五福竜丸の船員や、近隣の島の住民など多くの人々が被爆することになったのです。

放射性物質を含んだ塵(「死の灰」とも呼ばれる)を浴びた第五福竜丸の船員は、歯茎からの出血、火傷、脱毛など急性放射線症に苦しめられることになりました。そして、無線長であった久保山愛吉さんは、「原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい」という言葉を残し、半年後にこの世を去りました。

この事件をきっかけに占領から幾年も経ていない日本で反核運動が盛り上がりましたが、アメリカ政府が責任を認め、謝罪することはありませんでした。

第五福竜丸展示館内に置かれた本物の船体 Photo by Getty Images

いまだに島に帰ることのできない住民

1946年当時、ビキニ環礁には約160名の住人が暮らしていましたが、核実験のために全員が他の島へと移住することになりました。この時ほとんどの住人は、移住は一時的なもので実験が終われば島へ戻ることができると考えていたそうです。

しかし、繰り返された核実験により島の環境は強く汚染され、現在でもビキニ環礁の島民は島へ戻ることができていません。放射性物質によって汚染された環境が回復するためには、非常に長い時間が必要になるのです。

ビキニ環礁。東西約34km、南北約18km。左上に3月1日の核実験でできた直径2kmほどのクレーターが見える(2001年撮影)

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