教育の「そもそも」を問い直すことで、公教育の目指す形が見えてくる

最新刊の「はじめに」を全文特別公開!
山口 裕也 プロフィール

まず何よりも「考え方」を重視する

本書は、冒頭に述べた私の確信をもとに、公教育の何をどのように変えるべきなのか、具体的な実例に則してその「考え方」を示すものです。

考え方は、数学で言う「解の公式」に喩えることができます。「目的」と「状況」をそこに代入することで、それぞれが、それぞれの「やり方」にたどり着くことができます。それは、考え方に、教員や保護者、地域等関係者といった立場、あるいは自治体の人口や面積、自然環境や産業をはじめとしたさまざまな条件の違いを超える「普遍性」があるからに他なりません。

今、教育が大きな転換期にあることは、ほとんど疑うことのない事実として、誰しもが受け止めているでしょう。しかし、ひとたびその理由を問うてみれば、途端に足下がぐらついてくるはずです。

「何のために、何を、どのように変えるのか」
「どのような考え方のもと、どのようなやり方をすればよりよく変えられるのか」

そう問うてみれば、自分の考えていることが、多くの場合「部分」でしかなく「全体」ではないことにも気づくはずです。

ある、一つのやり方は、必ず、ある一つの、特定の目的と状況のもとで生まれてきます。ですから、どこか別のところでうまくいったというだけの理由でそのやり方をそっくりそのまままねしても、ほぼ例外なく失敗します

大切なのは、やり方の背景にある考え方を理解することです。自分たちに本当に必要な公教育の全体を見定め、それを、他ならぬ自分たちの手でつくり出していくことです。

 

「仕組み」と「慣習・慣行」

このことと関連して、もう一つ、言っておきたいことがあります。それは、公教育の構造転換のためには、法や制度をはじめとした広く「仕組み」と呼ばれるところのものと、それが生み出す人々の「慣習・慣行」との両者を変える必要があるということです。

ここまで説明なく使ってきた「構造」という言葉には、この「仕組み」と「慣習・慣行」との二つが含意されています。例えば、法が定める教科区分や学習内容の学年配当、標準時数。例えば、教員が子どもたちに関わるうえで無自覚に前提にしているやり方——この両者が本当に妥当で有効と言えるのか、そのことを底や根っこから吟味しなくては、本当の意味での構造転換は実現できないということです。

しかし、本論では、このことを十分に踏まえつつも、紹介する事例をミクロで法改正を要さない範囲に限定しています。なぜなら仕組みを変えるのは、あくまでも個々の「人」だからです。

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人の慣習や慣行が変わらなければ、いくら外側の仕組みを変えても、思うような効果は得られません。その必要感が認識されないからです。そもそも人の慣習や慣行が変わらなければ、仕組みを変えようとする動機自体も起こりません。

例えば、終章となる第5章では、学びの構造転換の実践例として、小学3年生の算数から「わり算」を紹介しています。この事例は、他の学級や学年にも影響なく取り組めるよう、教科区分や内容の学年配当、単位時間を変えずに済むものを選びました。

一方、この事例とともに示す「学びの構造転換の3+1ステップ」は、本書で主な話題とする義務教育前後の学校だけではなく、将来的な制度改編に向けて普遍性の高い考え方に仕立ててあります。これは、第1章から第4章で示す制度設計のための考え方についても同様です。

できるところから、自分なりに、一つずつやってみる。そのために、まず、考え方を変える。普遍的な考え方を固め、それをもとに新たなやり方をつくり続けていく——そうすると、慣習や慣行はおのずと変わっていきます。すると、現行制度の「可能性」と「限界」もまたおのずと明らかになり、仕組みを変える必要を真に理解できるようになります。

それが、本書で考え方を重視する一番の理由です。

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