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『教育は、変えられるーー授業改善ではなく、学びの構造転換を!!』
「教育は、変えられる」
今、私は、そう確信しています。
—「そんなこと、できるわけがない」
こう言うと、すぐにそのような反応が返ってくることが予想できます。
けれど、考えてもみてください。
広がる学力格差。増加するいじめ。減らない不登校。拡大する特別な教育ニーズ。そうしたことの総体として、機能せずに荒れる学級……。
教員の過酷な労働の原因にもなっているこうした教育の問題がいまや限界に達していることは、誰にも否定できないはずです。
では、どうすればよいのか。
私は、杉並区教育委員会のスタッフの一人として(このことについては後述します)、ある、「そもそも」を問い直すことから始めました。
その答えは、とてもシンプルなものです。
自立と共生は、「支え合い」の関係にあります。誰もが共に生きられる世界があればこそ、すべての人が自分の道を拓くことができます。自分の道が拓かれていく実感の中でこそ、すべての人が共に生きることのできる世界の大切さが分かります。
そう、教育には、公的な機関が携わることで、すべての人が学びの機会を確実に得られるようにし、一人一人が自らの道を拓けるようにする意味と、みんなが共に生きられるようにする意味があります。この二つの意味を、分かつことなく支え合うようにして満たすこと。それが、教育の目指すところなのです。
そうしてこの問い直しは、現在の「公教育」、とりわけ「学校教育」について、私たちに、根本的な「反省」を呼び起こすことになりました。
よく考えてみれば、私たちはみな、一人一人違う存在です。一人として他人と同じ人はいませんし、それどころか、一人の人の中にもいろいろな側面があるものです。
当然、子どもたちも同様です。みな、生まれも育ちも違っているのが当然だし、得意なことも苦手なことも違います。こう言うと、「そんなことは当たり前」だと思うでしょう。ところが、いざ現場の実践に落とし込む段になると、この「当たり前」がすっかり抜け落ちてしまっているのではないでしょうか。
このことに思い当たったとき、私に、ある、一つの「ひらめき」が生まれました。