米国副大統領時代のバイデン、中国国家副主席時代の習近平(2011年8月18日)Photo by GettyImages

「死か、さもなくば支配か」米中対話が絶望的に不可能な理由があった

地政学があぶり出す人間の本性
バイデン新政権に移行しても、中国に対して米国は、制裁措置を含めた厳しい姿勢で臨むことに変わりはないようだ。米中対立はどちらかが相手に屈するまで続くのか。超大国の意向に影響を受けざるを得ない日本などの国は、今後どのようにふるまえばいいのか。その基礎知識を今一度「地政学」から習得すべく、ペドロ・バーニョス『国際社会を支配する地政学の思考法 歴史・情報・大衆を操作すれば他国を思い通りにできる』から抜粋をお届けしよう。

なぜ、暴力はなくならないのか?

「感謝と信頼の心からわれわれの側につく人間など一人もいない。巧みに慎重に恐怖心を利用できたときにだけ、味方にすることができる」

これはドイツの政治家ビスマルクの言葉だ。実際に暴力をふるうときにはもちろんのこと、使うと脅しただけでも人間関係に決定的な影響をもたらす。このことを明確に表しているのが、4世紀近く前にマキャヴェッリが述べた「愛されるより恐れられよ」という言葉だ。だが、ただ恐れられる存在になるだけでは、短期的には効果を発揮するかもしれないが、恐怖心と同時に生み出された憎悪がいずれ爆発し、予測不能な事態に陥ってしまう。一方、指導者がただ愛されることだけを望んでいると、それは指導者の弱さの証明とみなされて善意につけ込まれ、その権力を奪おうとする者さえ出てくるかもしれない。

人間のなかには愛によって行動する集団もいれば、恐怖心から動く者、確信がなければ動かない者がいるとされる。だが、実際には人間はこの3つの要素の組み合わせによって行動するのであり、したがって同じことが起きたとしてもいつも同じ反応が返ってくるとはかぎらない。国際関係においてもっとも重要なのは、ある事例で成功を収めた方法が別の場合にも有効とはかぎらないということを念頭に置き、その時々で、自己の利益に他者を従わせるにはどうすべきかを知ることである。

 

ここで心にとめておきたいのは、それがたとえ相手にとって最終手段であったとしても、暴力に訴えられることへの恐怖は、どんな対外関係においても基本的要素となる点だ。いずれにしても、対話が成り立つのはこちらの言葉を聞いて理解し、理性的に考えようとしている相手とだけだ。つまり、教育や礼儀は、暴力や残忍さへの対抗手段にはならないのだ。非常に嘆かわしいことではあるが、暴力にしか反応しない人もいるのである。

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