アメリカで2019年にベストセラーとなったディストピア小説『フライデー・ブラック』(駒草出版)や、公民権運動を描いたグラフィック・ノベル『MARCH』などの翻訳で知られる翻訳家の押野素子さんは、現地ワシントンD.C.在住。1月6日にあの衝撃の事件も目の当たりにしていた。そんな恐怖と緊張を経て開催されたバイデン大統領の就任式で、世界を魅了した詩人アマンダ・ゴーマンの詩、そしてパフォーマンスに込められた意味について、押野さんが解説する。

22歳の詩人が紡いだ、鮮やかな希望

2021年1月20日。ようやくこの日がやって来た。ワシントンD.C.のダウンタウンでは、1月6日の米国議会襲撃・暴動以来、「市民歩けば州兵に当たる」ほどの厳戒態勢が敷かれていたため、街は緊張状態にあった。そして迎えた就任式当日、レディ・ガガやジェニファー・ロペスのパフォーマンス以上に、全米はおろか世界を魅了したのは、22歳の詩人、アマンダ・ゴーマンだった。

大統領就任式で詩を朗読するアマンダ・ゴーマン〔PHOTO〕Getty Images

知性溢れる顔立ち、優雅な立ち居振る舞い、躍動感と生命力に満ちた朗読。暗闇と分断を乗り越えた先に見える光と団結を謳った『The Hill We Climb(私たちがのぼる丘)』は、米国の厳しい現実を直視しながらも、鮮やかに希望を描いた一編だ。

日本でも反響が大きかったようで、彼女の詩については、質の高い全訳や解説が日本語ですでに出回っている。そのため、本稿は他の記事とは違う切り口で、アマンダの同胞であるブラック・アメリカンの意見を拾いながら、彼女の詩とパフォーマンスについて考えたいと思う。

「身振りを交えた言葉」の源流

アマンダのパフォーマンスを見て、真っ先に浮かんだ言葉は、ブラック・アメリカン(※1)としての「lineage(血統)」「oral tradition(口頭伝承)」だ。もちろん、彼女の朗読は歴史に残る素晴らしいものだった。しかし、ブラック・カルチャーに馴染みがある人であれば、「身振りを交えた言葉(ポエムやラップ)によるパフォーマンス」は、市井の人々にも深く浸透しており、特別なものでないことをご存じだろう。

私がハワード大学(ワシントンD.C.の黒人大学)に留学していた90年代後半から2000年代初頭はポエトリー・リーディング全盛期だった。『Love Jones』(1997年)や『Slam』(1998年)など、詩人を主人公にしたブラック・ムービーが人気を博していた。

特に前者は、「付き合う直前の男女が良い雰囲気になるために観る映画」として圧倒的な地位を確立しており、私のハウスメイトたちも、新しい彼氏/彼女候補を家に連れてくるたびに、この映画のVHSテープを回しあっていたほどだ。また、ヒップホップ界の大御所ラッセル・シモンズがプロデュースしたテレビシリーズ『Def Poetry Jam』も、6シーズンまで続く人気番組となった。

なぜ彼らには、ポエトリー・リーディングを大切にする土壌があるのだろうか。私の周囲にいる黒人文学のエキスパートたちに聞いた。

※1 アメリカでは80年代にジェシー・ジャクソン牧師が、人種よりも文化的なルーツに重きを置こう、という趣旨から「アフリカン・アメリカン」という呼称を提唱し、80年代から90年代はその呼び方が主流だったが、近年ではブラックを好む人が増えており、「アフリカン・アメリカン」よりも、「ブラック・ピープル」「ブラック・アメリカン」を使う人が多い模様。カリブ海などアフリカ以外の地域出身の黒人も、「アフリカン・アメリカン」よりも「ブラック」を好むことが多いようだ(ただし、現在でもアフリカン・アメリカンは使われている)。