人間のすごいところ
朱戸 今の社会のあり方と、生物としての人間の快/不快の感じ方とは、相容れないのかもしれませんね。
佐倉 市場原理に基づいてガンガン儲けることを是とする社会は、人間にとって本当に幸せなんだろうか。今のままでは幸せではなくなるんじゃないか──多くの人が、そう思いはじめていますよね。経済学においても、もっと長期的な考え方をしなければ人間は幸福にならないという考えや理論がずいぶんと出されはじめています。そういう人間の心理や社会を考える際に、進化論的な考え方が役に立つのではないかと思います。
朱戸 画一化していく怖さに気づく必要がありますね。
佐倉 はい、漫画にも多様性が必要なのと同じです。
朱戸 長い時間軸で考えるとすると、たとえば孫の顔を思い浮かべるといったスパンよりも、ずっと先のことまで考えなければいけないということですね。遠い将来の、まったく知らない世代の人のことにまで想像を及ばせる──持続可能な良い社会を築いていくには、そういった長いスパンで考えることができる人間が、つねに一定数必要だということですよね。どうすればそれが可能になるのか。作品づくりを通して、考えてみたいと思います。
佐倉 人間のすごいところの1つは、自分の脳だけじゃなくて、他人の脳も使って考えることができるという点だと思います。情報や思考を外部装置に記憶しておいて、それを共有することで複数の脳で考えることができる。本もまた、そうした外部記憶装置の1つです。
朱戸 石器時代の共同体社会に適しているはずの人間が、数十億人規模の現代社会にこれだけフィットして生きていけているというのは、人間の脳がスゴイということなんですね。

脳にも「バグ」がある!?
佐倉 これもまた、先ほどの「結果として」そうなっている、ということなんです。人間の脳が大きくなったのは、決して微分や積分を解いたり、漫画を描いたりするためではない。もちろん、科学について考えるためでもありません。
美味しい食べ物がどこにあるか、いい配偶者はどこにいるかを探すために発達したわけで、文化的・知的活動は生物学的に見ればすべて副産物です。でも、人間の脳で考える副産物がこれだけ大きくなって、それが価値をもっているように考えるのも、人間の素晴らしいところであり、また限界でもあると思います。

朱戸 身近なところで言えば、ツイッターで知らない人をディスってしまうのは、人間の脳のバグなのかなと思っています(笑)。
佐倉 本当にそうですね。プライベートな場で話すような話を、飲み屋談義の感覚で衆人環視のネットに書き込んでしまうのは、バグかもしれない(笑)。
朱戸 ツイッターに限らず、SNSのしくみはよくできていて、書き込んでいる相手がまるで知り合いのように勘違いしてしまうんですよね。そこに人間は思い至っていない。その足りないところをシステマティックに解決できないかなと考える悪いクセがあって(笑)、書き込んでしまう人ではなく、人間そのもののバグをなくすためにはどうすればいいかを考えていたりするんです。