コロナ自殺、一体なぜ…「周りに迷惑をかけて申し訳ない」という「加害者意識」の正体

日本の感染者が患う「もうひとつの病」
阿部 恭子 プロフィール

感染者が抱く「罪責感」の正体

WOHは、加害者家族支援を専門としている団体であるが、同時にコロナの差別問題に取り組み始めた理由は、感染者やその家族が受けている差別が加害者家族への差別の構造と同じであると考えたからである。

感染者報道をきっかけに、インターネット上では感染者を特定するような書き込みがなされ、感染者やその家族が誹謗中傷により転居しなければならない事態にまで発展している。感染者やその家族や関係者が、世間を騒がせたことに対して謝罪を余儀なくされる状況も加害者家族の状況と同じである。

上記の事例のような感染者が周囲に対して抱く「罪責感」は、過失によって他人を傷つけてりまったり、店で食中毒を出してしまった加害者の罪責感ともよく似ている。過失犯であれば、意図した行為でなくとも一定の責任を負わなければならないが、コロナ感染者はたとえ誰かに感染させてしまったとしても責任はないはずだ。それでも、周囲に対して道義的責任を背負い込まなければならないのは、世間の同調圧力があるからである。

加害者家族は欧米諸国では「隠れた被害者」「忘れられた被害者」と呼ばれ、「被害者」と見做されている。たとえ犯罪者が育つ環境に家族が悪影響を与えていたとしても、行為をしたのは犯罪者であり責めを負うのはあくまで犯罪者なのだ。ところが、同調圧力にはこうした理屈は通用しない、「世間を騒がせた」ことが「加害」であり謝罪を要求されるのだ。したがって、本来「被害者」と見做されるべき感染者やその家族も加害者意識を背負わされるのである。

私たちが幼い頃から刷り込まれている世間のルールに、「人に迷惑をかけてはならない」という言葉がある。突き詰めると、他人の世話になることを否定する言葉である。病気になれば誰かの世話にならなければならないし、病気を他人にうつしてしまうこともある。誰しも病気にかかることはあり、個人の問題ではなく社会の問題であるはずだ。

責任感が強い人ほど個人として問題を抱え込みやすい。他人の世話になっては申し訳ない、私が責任を果たさなければという思考は支援を遠ざけていく。罪責感が深い人ほど誰かに相談しようという発想はなく、とにかく責任を取らなければならないと考えた末に命を絶つ結果を招いてしまっている。

 

日本では、こうした引責自殺が多すぎる。加害者家族の自殺はその典型である。さらに、元農水事務次官による長男刺殺事件のように、家族の問題行動に悩んだ末の「引責殺人」も起きている。将来起きるかもしれない犯罪を防いだと加害者に同情する声もあり、半ば正当化されている風潮もある。なぜこれほどまでに、命が軽視されるのか。

1月10日の朝日新聞によると、新型コロナウイルスに関する調査で67%の人が「健康より世間の目が心配」と回答したという。日本人のコロナウイルスとの戦いにおいて、「世間」というキーワードを外すことはできない。守られるべきものは命であって、世間体ではないだろう。

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