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「山谷」バイオレンス群像劇、闘争の現場にいた人たちの肉声が伝わる

『ヤクザと過激派が棲む街』レビュー

牧村康正著『ヤクザと過激派が棲む街』は、1970年代から80年代にかけてのドヤ街「山谷」を舞台に、「やられたらやり返せ」をスローガンに活動した過激派「山谷労働争議団」のメンバーたちの群像劇を描きながら、そもそも過激派とは? 左翼右翼とは何者なのか? ヤクザとはどう違うのか? 彼らは何のためにたたかっているのか? ――それぞれの出自と系譜、存在理由を、日本の戦後史のなかで捉え直していく渾身のノンフィクションである。

 

当事者たちの肉声が耳元で聴こえる

当事者たちの証言をつなぎ合わせながら構成していくその独特な叙述スタイルがとにかく新鮮だ。「争議団」関係者、街の商店主やドヤ主(労働者向け簡易宿泊所の経営者)、ヤクザ・右翼関係者……。リアルタイムでその場に立ち会った当事者たちの肉声が、本書を読む間ずっと耳元に聴こえているのだ。気がつくと今から数十年も前のその街の風景にすっと入り込んでいる。読みはじめて私はまず、ドヤ主(の経営者)たちが語る在りし日の街の賑わいのなかに引き込まれた。

いちばん賑やかだったのはオリンピックのあとだろうね。うち(ホテル富田)の前の通りも、すいとん横丁だったのが寿司屋横丁になって、立ち食い寿司や普通の寿司屋が何件もあった。立ち飲み屋もバンバンできてね。南千住に止まる都電の最終が夜中の一時だったから、店が閉まるのは二時ごろですよね。とにかく人通りが夜中まですごかった。パチンコ屋だって何軒もあったし、麻雀屋なんか数えきれないくらいあった。それが全部儲かっていたんだから、いかに人が多かったかということだよね。 

山谷という地名は今はもうないが、東京・台東区の北部に位置するわずか1.65キロ四方のその一角には、かつては200軒以上のドヤが立ち並び、約1万5千人の日雇い労働者が住み込んでいたという。彼ら労働者を集めた理由は他でもない。そこに「寄せ場」があるからだ。著者はこう言う。

山谷の風景を最も特色づけていたのは寄せ場である。寄せ場は山谷の中心点に当たる泪橋(なみだばし)にあった。泪橋の交差点付近には早朝から数千人におよぶ日雇い労働者が押し寄せ、ヤクザの息がかかった手配師たちが手際よく仕事を供給していく。盆と正月以外、寄せ場の朝は日々そのくり返しである。ただし、この山谷にとって不可欠な労働システムが、じつは金町戦勃発の一因だった。そして警察や公共機関(職業安定所、労働センター)がヤクザをたたけない理由もそこにあった。ヤクザ系の手配師がいなければ寄せ場は一日たりとも機能せず、日雇い労働者はその日の飯も食えないのだ。

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